ようこそ。アメリカ移住者Yascoのブログへ! 兵庫県出身の関西人。1999年大卒で超就職氷河期世代。日本での人生に見切りをつけ、2003年9月に企業インターンとして単身渡米。2003年−2004年はフロリダ、2004年からミシガンに在住。その後、数々の就労ビザを繋いで、2012年にグリーンカード取得。2017年7月に米国市民権取得により日本国籍喪失。よって、現在は米国籍のみを持つ、日系米国人1世と相成りました。波乱万丈な元日本人の人生を日本人の皆様に少しでもご紹介できればと思います。よろしくお願いいたします。

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2020年3月10日火曜日

【米国 移住】私がアメリカ人になった理由〜その2

今日3月10日から大型客船のグランド・プリンセス号がサンフランシスコに帰港し、乗客の下船を開始したとニュースで伝えられています。

約3500人の乗客のうち、2400人ほどは米国人だそうで、残り1200人は外国人。そのうち、日本人は4人いらっしゃるそうです。
2400人の米国人は、米国内の4つの軍事施設に分けて隔離されるそうです。そのため、下船もまず米国人から始めたとの事。残りの外国人は、アメリカ政府の要請で、各国政府がチャーター便を飛ばして自国民の乗客を引き取りに来るまで船内で待機だそうです。
ところが、日本人の乗客は4人全員とも米国在住らしいです。そのため、日本の外務省がアメリカ政府と交渉して、米国人と同様にアメリカ国内の軍事施設で隔離させてもらえないか要請中だとか・・・。その結果はまだどうなるかはわかりませんが、私が考えるに、これを許してしまうと、恐らく1200人の外国人乗客のうち相当数が米国在住だと思いますので、日本人にだけ特別に米国民と同様の扱いをするわけにはいかないので、外務省の交渉はかなり難易度が高いと(勝手に)予想しています。ラッキーな場合、日米の友好関係に功を奏する結果になるでしょう。そうなればいいですが、どうでしょうかね・・・?

このニュースを聞いて真っ先に思ったのは、やはり私が米国市民権を取得した理由がここにもあった、という事です。
この4人の米国在住の日本人がビザ保持者なのか永住権を持って米国に住んでいるのかがわからないので、一概には言えませんが、ビザ保持だけなら、米国人と同様に軍事施設で隔離はほぼ無理でしょう。永住権保持者ならなんとか無理を言って米国政府を説得できるかもしれませんが・・・(特に配偶者が米国人だと一緒に隔離させてもらえる確率は高いでしょうね)。それでも、やはり永住権(グリーンカード)と市民権(米国国籍)保持の差は”米国政府にとっては”大きいんですよ。恐らく永住権保持者本人は米国人とほぼ同列だと思って米国で暮らしていると思います。かつての私がそうだったからです。私の周りにいる永住権保持者の日本人もほぼ全員がそういう感覚でこちらに住んでいます。”唯一の違いは選挙で投票できるかできないかだけ”だと。
しかし、こう言った有事の際は、米国国籍保持者とただの永住権保持者の差が顕著になります。米国政府の真の意図が露出された形になるからです。つまり、米国政府の真意はいつでも、”米国国民vs.非米国国民”という考え方です。いわゆる”アメリカ ・ファースト”ですね。この線引きが時の大統領が民主党であるうちはかなり緩くなるんですが、アメリカ建国からずっと憲法で”アメリカ・ファースト”が謳われています。そのため、アメリカ市民権を取得した際の宣誓式では、”今日以降はいかなる外国に向けた忠誠心を捨てて、米国のみに忠誠を誓う”という宣誓をさせられます。その見返りに、”米国政府も忠誠心を持って世界中にいる米国人を救済する”と憲法に書かれているわけです。

こう言った内容が米国憲法に書かれている以上、この宣誓をして米国に忠誠を誓っていない外国人はビザ保持だろうが永住権保持だろうが、あるいは米国に何年間在住していて納税もしていようが、大差はなく、米国政府にとっては所詮”非救済対象”なわけです。

私は2017年7月に米国市民になったのですが、それまでのグリーンカード保持者でいる間の最後の半年くらいまで(2012年〜2017初)上記に気づきませんでした。個人的にはアメリカで選挙投票できないのは大して問題では無かったですし、転職もアメリカ人とほぼ同じように自由にできるし、日本国籍を捨てる覚悟はそれまでできていなかったのです。ところが、2016年末にトランプが大統領選に勝ってアメリカ・ファーストを仕切に訴えるようになって、ようやく憲法でも謳われているアメリカ人及びアメリカ政府の心根に気づいたんですね。じゃ、自分はどうしたいのか?少なくともこの先ずっと老後も基本的にアメリカに永住することは決めていたので、そうしたときにグリーンカード保持とは言え外国人としてアメリカに住み続けるのか、アメリカに忠誠を誓ってアメリカ人としてアメリカに住み続けるのか。よくよく考えると、この差はアメリカに長く住み続ければ住み続けるほど大きくなると分かったので、アメリカ人になることにしたわけです。おまけに、グリーンカード保持のまま日本と米国の間を数ヶ月単位で行ったり来たりしていると”アメリカに永住する意思が薄い”と判断され、いずれグリーンカードを没収されてしまうと言うことにも気づきましたし、これはもう米国市民権を取るしかないな、と。

こういう理由(上記)で私は日本の外務省の交渉は難易度が高いと考えています。しかし、トランプは日本のことを贔屓にしているようなので、もしかすると4人くらい”おまけで面倒見てあげるよ”と言うかもしれませんね。そうなったら、安倍さんの今までのトランプへの好待遇戦略が正解だったと言うことになり、ちょっと好感度が上がるかもしれませんね。

果たしてとうなるか、ニュースを見守りたいと思います。
今回もご覧いただきありがとうございました。

2020年2月13日木曜日

【アメリカ コロナ禍】コロナウイルスはコウモリが犯人?

こんにちは。
益々、コロナウイルスが猛威を振りまくっており、”東京オリンピック開催も延期した方が良いのでは?”なんて言う意見がインターネット上でちらほら出てきているようですが、今回は、このウイルスを人へ移した犯人と言われている、コウモリについて少しお話ししたいと思います。

まず、日本のド田舎以外の地域に住んでいると、コウモリってほとんど実際に目にすることはないのではないでしょうか?私は兵庫県西宮で生まれ育ちましたが、子供時代、遠くの空で飛んでいるのを見たことはありますが(大人に教えてもらって知った)、実際に接触するほど近くで見たことはありません。コウモリよりカラスの方が人間への被害が多いですよね、日本の日常生活では。

一方、北米では、よほど大都会のど真ん中に住んでいない限り、コウモリと言うのは結構身近にいる存在なのです。私の住む地域はミシガンの大都市郊外で、周りは湖や森が豊かな地域で、ここら辺りにある一軒家(やビル)の屋根裏にコウモリが住み着いている場合が結構あります。
我が家も7年ほど前に中古で購入した築25年くらいの一軒家なのですが、数年前のある夜、2階の部屋でくつろいでいると天井の上をゴソゴソ小動物系が何匹か連れ立って歩いている足音が聞こえたのです!まず旦那に相談するとネズミだろうと言うので、ネズミ駆除剤を買ってきて屋根裏部屋に散布してしばらく様子見しましたが、一向に足音は消える気配がありませんでした。それから、お隣さんにも聞いてみると、我が家の前のオーナーが住んでいたときに家の上空をコウモリが飛んでいたのを何度も見たことがあると教えてくれました。一応、自分でもYouTubeやインターネットサイトで結構調べた結果、やっぱりコウモリだと言う自分なりの確証が得られたので(足音や数や活動時間で大体リスかネズミかアライグマかコウモリかが判別できる)、慌てて専門業者を呼んで、屋根裏部屋のあらゆる隙間を封鎖してもらう工事をしました。詳しい工事内容を話すと、この穴のうちコウモリが一番出入りに利用していると思われる主要出口一つだけを封鎖せずに、ここに出られるけど入って来られない出口専門の扉を設けて、コウモリを追い出す作戦です(コウモリは毎晩狩に出かけるので)。これが結構費用がかかるもので、2500ドルくらい払ったと思います。痛い出費ですが、これはどうしてもやっておかないといけない作業なのです。

と言うのも、今回のコロナウイルスでも皆さんお分かりかと思いますが、コウモリは色々な菌を保有しているんです。中国人のように食べることはなくとも、コウモリがフンを落とすことで、菌を空中に撒き散らします。その上、屋根裏部屋に住んでいる場合、屋根裏部屋の床板が糞尿で腐ってしまい、いずれ穴が開いて、その穴から居住空間へ出てくる可能性もあります。よほどこちらから攻撃しない限り、コウモリが人間を襲うことはないかもしれませんが、飛んで羽をパタパタさせることで、体についたバイキンが家中に充満する恐れもあります。ここまでは、普通のコウモリの行動パターンなのですが、なんと!コウモリの中には狂犬病を保有している個体がある一定数いるようで(北米の話)、狂犬病にかかったコウモリは人間も攻撃してくるので、噛まれてしまうと、狂犬病になり、狂犬病の治癒薬は世界でも未だに存在していないため、必ず死んでしまうと言う、恐ろしい事態になります!

狂犬病というと、皆さんご存知の通り、真っ先に思いつくのは野犬やアライグマではないでしょうか?ミシガンではアライグマがそこかしこに出てくるので、毎日馴染みのある動物なのですが、実のところは全く狂犬病の可能性がないわけではないものの、大抵のアライグマは狂犬病にかかっていないそうです。なお、狂犬病とジステンパーの症状は非常に似ているようで、どちらも酒に酔ったようにフラフラと歩き、人や動物に対し攻撃性があるそうですが、アライグマに関しては大抵この症状が出ているとジステンパーだそうです(とは言っても狂犬病の可能性も僅かにあるので触らないに越したことはない)。ちなみにジステンパーは犬科特有の伝染病なので、人間に感染することはありません。

ここで、特筆すべきは、ミシガンでここ50年ほどの間に狂犬病にかかった人の全員がアライグマではなく、コウモリに噛まれたことによる発症だったというデータがあります。その他の州に関してはどうかというと、これまでの(記録にある限りでの)アメリカ全土の狂犬病による死亡者の90%以上がコウモリが原因だったという情報をインターネットで見たことがあります(確か米国政府系の組織の研究結果だったかと・・・)。

要は、コウモリというのは、それを中国人のように食べなくても、身近に接することで何らかの保有菌を受け取ってしまう可能性があるという危険な動物でもあります。もちろん、コウモリの主な食べ物は昆虫ですので、人間にとって厄介な蚊やハエや気持ち悪い虫を駆除してくれるポジティブな性質も持ち合わせていますので、全く人間にとって敵ではありません。ただ、人間に感染する可能性のある菌を保有している個体がある一定数いるので要注意ということです。

皆さんも、北米に来られる場合は、コウモリにご注意を!!

今回は以上です。コロナウイルスがなんとか小康状態になってくれるといいのですが、この先しばらくは心配ですね。

皆さんもお気をつけください。

2020年2月2日日曜日

【米国 コロナ禍】コロナウィルスにおける日米政府の対応の違い

前回でもお話ししたコロナウィルスが益々悪化の一途でかなり深刻な状況になってきました。
アメリカ政府がチャーター便で連れ帰った武漢にいたアメリカ国籍者は、2月中ばまで米軍基地内の施設で隔離されているそうです。その人の中から感染者が見つかったと言う情報は2/2朝現在では出ていないようです。

一方、日本政府が武漢から最初のチャーター便で連れ帰った日本人の中には当初の検査を拒否した人が二人いて(この人たちは翌日に検査を受けることにしたそうですが)、その他の人たちの中から数人の感染者が発見され、あとは当初の検査では陰性だったのに数日後の検査で陽性になったケースがいくつかあったとか。一度目の検査で陰性だったのが後に陽性になると言うのは、前代未聞のウィルスではないでしょうか?非常に恐ろしいですね。

この非常事態を受けて、アメリカ政府は今日2/2の午後5時から、中国全土に過去2週間のうちに滞在して米国へ入国する外国人は基本的にビザステータスに関わらず米国入国を却下されるそうです。この例外者は、米国国籍者の親族が米国内にいる外国人とグリーンカード(永住権)保持者だそうです。昨今、中国へ仕事で出張というケースは年々増えていますいので、日本人だけでなく他国籍者もこれに当てはまる米国居住もしくは訪問者が多いと思います。2週間とはいえ、これに当てはまる米国人以外の人たちにとっては不便になりますね。特にビザで米国内に居住している外国人。これも、米国政府の徹底した国家保護政策なので致し方ないですが。
ちなみに、米国政府は、ここ2週間で中国湖北省へ行った米国人に対しても入国を規制しています。さすがに自国への入国拒否はありませんが、2週間米軍基地の施設内で隔離されるそうです。湖北省以外の中国内地域へ行った米国人は隔離はされないものの、入国の際は厳重な検査を受け、その後2週間は独自の検査報告と自宅待機が米国政府から要されるとのこと (*2/2夕方にこの件は変更になり、湖北省以外の中国他地域へ滞在した米国人も湖北省へ滞在した米国人と同様に帰国の際は隔離されることになったとのことです)。

やはり、米国内にいる米国人を守るため、米国政府は素早く徹底対策を強行することにしたわけですね。米国内にいる米国人としては、ありがたい対策です。しかし、今朝の段階で米国内で8人目の感染者が出てしまいました。マサチューセッツ州ボストンにいる男子学生のようです。恐らく中国人の学生でしょう。金曜日にはシカゴで感染者の妻が夫に感染させた米国初の人から人への感染が出ましたし、今後、米国でも感染が増えそうな状況です。

それに対して、日本政府の対策は、2/1からようやく湖北省に過去2週間のうちに滞在した外国人と湖北省発行のパスポートを保持する中国人を入国拒否するに留まっているようですね。ポイントは湖北省への滞在に限っていることです。よって、中国の他地域からの中国人や外国人はまだ日本へ入国できると言うことですよね。これは、米国やオーストラリア政府の対策と大きな隔たりがあるのではないでしょうか?湖北省からの外国人に限って入国拒否しても、湖北省以外の中国内地域に滞在していた外国人が、湖北省から避難して中国内の他地域にいる感染者から感染する可能性もあるわけで、はっきり言って、日本政府の対策は大して効果がないように思います。それにアメリカやオーストラリアが中国全土に過去2週間滞在していた外国人を入国させていないため、中国からそれらの国へ入国したい外国人はどこか他国で2週間時間を潰す必要があるわけです。そうなってくると必然的に中国の周辺国で待機しようと言うことになるでしょう。しかも日本政府は湖北省以外の中国地域にいた外国人を入国拒否していないので、余計に中国から日本へ逃げる外国人が増えると私は予想しています。その上、日本政府は湖北省に滞在していた日本人で個人的に帰国した人(チャーター便ではなく)の隔離や中国他地域から帰国する日本人の厳重検査はしていませんね。そう言う日本人は、帰国後直ぐに自宅に戻って家族や友人と接触したり、街中に出かけたりできるわけで、これも問題ありだと思います。
あと、これは言語道断だと個人的に思うのですが、この騒ぎがニュースになる前から既に日本に滞在している湖北省出身の中国人観光客が希望すれば観光ビザの延長を日本政府は許可しているとのこと。こう言う部類の人達こそ2次感染源になる可能性が大なんではないでしょうか?

以上のように、中国の直ぐ隣にある国の政府の対策より、遥か遠くにある国の政府の対策の方が厳しいと言うのは一体どう言うことなのか、日本にいる日本人の皆さんはよく考えて、政府に投書なり、プロテスト活動なりで訴えた方が良いのではないかと、元日本人としていささか危惧しております。

とはいえ、中国から遠いアメリカのそれも中西部にいるからと言っても、ここら辺にも中国人学生や中国系移民が多いので、中国系スーパーや商店あるいは中国系が多く住む街にはなるべく行かないように私も個人レベルで対策を取ろうと思います。

早くワクチンが開発されて、事態が収束すればいいのですが・・・。皆さんも充分個人レベルで対策を取って、この危機を乗り越えていきましょう!

ご覧いただきありがとうございました。

2020年1月27日月曜日

【アメリカ在住 生活 経験話】アメリカ政府の国民救済力について

ここ2週間でどっと雪が降り積もっているミシガンですが、日本の寒さも厳しくなっているようですね。でも、なんと言ってもここ1週間での話題は、中国発のコロナウィルスではないでしょうか?
ここ2、3日で感染者がどっと増え(1/26時点で80人)、猛威を奮い始めているという恐ろしい状況になってきていますね。

アメリカでもシアトルとシカゴで2人感染者が出たようで、シカゴはミシガンの西隣ですから、遠いアメリカにいるからと言って油断ならない状況になってきました。
しかも、この病気の発生源である湖北省というところは自動車産業が盛んらしいですね。自動車産業ということは私の住むデトロイトと繋がりがあります。おそらく、デトロイト地域にある企業で武漢にも拠点がある会社が多いと思います。ですので、つい数日前まで武漢に住んでましたとか出張してました、なんていう人が近所のスーパーなんかにいてもおかしくないなと思います。私もマスクしたりして予防しないといけないかなと思い始めました。

しかし、どういうわけか、アメリカ人はマスクを付けたがらないんです。おそらく、マスクして街中を歩くと強盗や犯罪者と勘違いされるからだと思いますが、こういう時はこの風習が仇になるもんだとつくづく思います。日本人のようにみんなで一斉にマスク付けるといいんだろうけど、アメリカ人は基本的に個人主義ですので、”嫌なものは嫌”という考え方の人が多いので、そうならないでしょうね。どうしたもんだか・・・?

さて、昨夜ニュースで知ったのですが、このコロナウィルスに関して、世界各国の中でアメリカ政府が最初に武漢にいる米国籍者をチャーター便で帰国させるという宣言をしたそうですね。それに続いて速攻フランスも名乗りを挙げ、韓国でさえもそれに続いて、そうして6時間後くらいにやっと日本が同様の決定を発表したと言うことらしい・・・。
しかも、アメリカとフランスは、チャーター便で帰国させた自国民を到着後に専用施設でしばらく隔離すると言う段取りを既に取っていると言う、徹底ぶりだそうで。どうやら、このコロナウィルスは10日ほどの潜伏期間中にも感染するらしいですね。となってくると、アメリカやフランスの徹底ぶりは当たり前かなと医療専門家でもない私でも思いました。
それに比べて、日本政府は、今朝の時点で(1/27)は帰国させた日本人を専用施設で隔離はせず、速攻帰宅させて、2週間ほどの自宅待機と体温測定などの自己申告制にするそうです。と言うことは、単純に考えて、帰国時点で症状のない感染者がいたとすると、帰宅して潜伏期間中に家族と接触して感染させてしまう可能性があり、その家族も学校やら職場やら買い物に出かけて、不特定多数の人々に移してしまうことになるかもと言うことですよね。チャーター便飛ばして、既に感染している可能性のある自国民を自国に呼び寄せておきながら、この生半可な対応はどうなんだろうと思いました。日本にいる自国民への影響はどうでも良いのでしょうかね?

この件に関しても、やはり、米国政府と日本政府の国民救済措置は明らかな差があるなと実感しました。まず、米国は国民救済ということに関しては間髪入れずに決定するんですよね。他国がどうしようか考えている間に、さっと決めてしまう。これがもちろん先のイラン攻撃にあるようにネガティブに捉えられる場合もありますが、大抵の場合は国民にとってはポジティブに捉えられます。
こう言った前例が米国政府には過去にたくさんあるので、外国にいる米国人の多くは米国政府に対して”困ったときは直ぐにやってきて助けてくれる”という心強さを感じています。かく言う私も、これが米国市民権取得を決意した理由の一つでした(日本国籍を捨てる決心をした決定打の一つ)。”世界のどこにいても、有事には自国政府が救済主になってくれる”と知っていることは政府に対しての信頼感=支持率にもつながるわけで、ここを疎かにする、あるいは中途半端な対応をすると国力が弱まってしまうのではないかと私は思います。

私が日本人として米国で生活していた14〜15年ほどの間、デトロイトにある日本領事館から”日本人として守ってもらっている”と感じたことは一度もありません。領事館職員の方には申し訳ないですが、はっきり言って”頼りない”の一言です。

この日本政府に対する”頼りない”という感情は、私のような就職氷河期世代の多くは就職の際に痛烈に感じたと思いますが、この感情を海外でも感じなければならなかったのは日本人として生まれ育った人間としては非常に残念でしたね。というのも、ここまで”頼りない”と思わざる終えない出来事があったからなんですが、この話の詳しくは次回の巻でお話ししたいと思います。

今回もご覧いただきありがとうございました。

2020年1月20日月曜日

【米国 移住】日本脱出のススメ?〜その3

少し久々のブログになってしまいましたが、前回の移住先の話の続きをしたいと思います。

前回では、北米移住は年々移民政策が厳しくなってきているため、ハードルが高くなっているけど、アメリカの場合、就労ビザの種類の多さから、中にはまだ取得しやすいものもあるはず、というお話でした。

今回は、北米以外に目を向けてみたいと思います。
まず、日本人が北米と対照的に見やすいヨーロッパです。私はヨーロッパに旅行に行ったことしかなく、住んだことがないので、旅行の経験からの認識しかありませんが、総じて、アジア人差別意識は北米のそれより高いという印象を受けましたね。旅行で行った国は、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、フランスですが、どういうわけか、イタリアで一番アジア人蔑視されているのをひしひしと感じました。イタリアへは白人アメリカ人の旦那と個人旅行で行き、その他の国へは学生時代にツアーで行っただけなので、この差も影響しているのは否めないですが、ホテルの受付の女性(イタリア人)の対応・態度(フレンドリーさ)がすぐ私のそばにいる旦那への対応と雲泥の差だったのがすごくショックでしたね。これは、ホテルの女性職員だけでなく、空港のグランドホステスなども似たような態度だったので、イタリア人女性に関する一般論と私は認識しています。
後は、レストランなどは、男性・女性スタッフ関わらず、相手がアメリカ人あるいは日本人の観光客というのが明らかだと見るや否や、勘定をチョロまかしたり(メニューの値段以上の請求額とか、オーダーしてもいないのに、どんどんサービスとか言って料理を持ってきて、サービスと言いつつちゃっかり請求しているパターン、メニューに時価と書いてあるものに対して常識的に想定以上(魚一匹の料理に50ユーロくらい)の金額を請求してくるなど)が、あまりに酷かったのを鮮明に覚えています。帰りの飛行機で、お互いもうイタリア旅行はゴメンだという結論に至り、あれから(十数年前)一回もイタリアに行っていません・・・(笑)

もちろん、これは私たちがただ単に運が悪かっただけかもしれませんが、イタリア人女性の態度は複数の場所で同じようなものだったので、ただ運が悪かっただけではないでしょう。ちょっと1、2週間の旅行でもこうだとすると、そういう国に長年住んでいるとどういう生活になるかは想像するに難くないな、というのが私の中でのヨーロッパの国々の印象です。
つまり、ヨーロッパに日本人として居住するということは、北米以上に人種差別の辛さを味わうことになるんだと思います。実際、数年間ヨーロッパに居住したことのある日本人の知り合いのほとんどが同じようなことを言っていました。

それでも、ヨーロッパが大好きでビザや永住権の確保ができる人は、何事も経験第一ですので、移住してみるといいと思います。私はヨーロッパはパスですね。

次は、オセアニア、つまりオーストラリアとニュージーランドはどうでしょうか。私はこの両国に個人旅行で行ったことがあります(それぞれ別々の旅行で)。率直な旅行からの感想として、どちらも”住み易そう”でしたね。特に、ニュージランドは、オークランドとクライストチャーチに行ったのですが、どちらの街も東京の数倍ゆっくり時間が流れている感じで、非常に風光明美で喉かないいところでした。老後住めるものなら住んでみたいですね。ただ、ニュージーランドは、仕事があまりないようなので、定年退職者用のような気がします。
オーストラリアは、ブリスベンとシドニーしか行かなかったのですが、ブリスベンはニュージーランドの雰囲気に通じるものがあった気がします。シドニーは言わずと知れた大都会なので、仕事目的で行くのならいいんではないでしょうか。
オセアニアはどちらも英国色が未だに強い国だと思いますので、中には白人至上主義者もまだまだいるでしょう。だけど、アジア人移民(特に中韓・東南アジア)がますます増えているそうなので、そう言った人種差別勢力も後は時間の問題だとは思いますけどね。
オーストラリアも近年就労ビザの取得が難しくなっているらしいですので、ビザ取得の可能性は北米と似たようなレベルである気がします。移民法の詳しいことはよくわかりませんが、北米と同じ移民大国なのでチャンスがあるのなら日本人の移住におススメできる国ではないでしょうか?

最後に、近年ブームになりつつある東南アジア諸国ですが、シンガポールやマレーシアあたりはインフラもかなり進んで、日系企業の多くが拠点を構えていることから、日本人の移住には人気らしいですね。シンガポールは既にマレーシアより経済がはるか先を行っているので、今から移住は難しいですが、マレーシアはなんとなく良さそうです(私がテレビやインターネットで見聞する限り)。その他の東南アジア諸国にも(特にタイやベトナム、フィリピンなど)日系企業が多く進出していますが、私の個人的意見として、まだまだ治安が日本人向けではないな、という印象です。日本人男性で、体が大きくて体力に自信がある人なら、大丈夫かもしれませんけど、日本人女性にはまだまだ移住先としては向いていないんではないかと思います。


以上です。ここで上記に挙げなかった国や地域は、私の中では移住先として問題外かなと思っています(特に社会主義国や常に情勢の不安定な中東、性犯罪率がかなり高いインド、日本人の仕事が皆無そうなアフリカなど)。あくまで、私の独断と経験や見聞に基づいた考えなので、反対意見も多いでしょう。
もし、どうしても住んでみたい国があるのなら、なんとかして合法的に居住権を取得して(他力本願ではなく、自力で)住んでみるのがいいと思います。日本人の場合、他国に住んでみてしっくりこなければ母国に戻ってこればいいだけの話なんですから。

ただ、移住前に良く移住先のしきたりや治安情報、宗教、文化、時事情報を良く調べることを強くお勧めします。

今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。

2020年1月6日月曜日

【米国 移住】日本脱出のススメ?!〜その2

明けましておめでとうございます。

この冬はミシガンは暖冬に見舞われております。雪が兎に角少ない!これは大助かりです。我が家は”ちょい田舎”な地域に住んでいる上、舗装された住宅街ではないので(舗装されていない土の道路)、雪かきが大変なんです。しかもドライブウェイという、家に横付けされたガレージまでの敷地内の小道が50メートルほどあり、その先にさらに100メートルほどの私道があるため、ここに積もった雪を自分たち(うちを入れて3軒)で除雪する必要があります。夜に大雪が積もると、朝出かける前にこの雪かきをしないと車がハマって出られなくなるので、この作業に1時間は少なくともかかるんですね。雪が少ないということは、この作業が省けるので、大変有り難いわけです。

さて、昨年の最後のブログでは、日本の若者を中心に海外移住を考えている日本人が増えている(?!)というお話をしましたが、今回は、その移住先の国は?!というお話をあくまで私見で語っていきたいと思います。

まず、私のおります、アメリカですが、皆さんもすでにご存知の通り、既にアメリカに住む外国生まれの移民で(私も含め)飽和状態になりつつあり、もはや既得権争いになっています。早い話が、”より昔にアメリカへ移住してきた人が勝ち”ということです。ここ十数年前からはそれを悪化させるかの如く、中南米からの不法移民が押し寄せているため、アメリカ政府の移民政策は年々厳しさを増しています。トランプは必ずしも移民反対ではないのですが(発言を聞く限り)、これからやってくる移民はアメリカ社会に十分貢献できる能力あるいは財力がある者に絞るべきだという考えなので(私もこれには同感)、特に家族と雇用ベースの移民ビザの審査基準がかなり上がっています。アメリカ人の多くは、こういう風潮に相まって、アメリカにいる外国人を色眼鏡で見ているのが現状です。そもそも、何が何でもトランプを倒したい民主党は、不法移民と合法移民を引っくるめて、今アメリカにいる移民にさっさと市民権を与えて、そのお返しに自分たちの政党に投票してもらう作戦を狙っているので、わざと不法移民と合法移民を一緒くたにして匿おうとしています。このため、物事の本質を見極めることのできないあるいは時事に疎いアメリカ人は合法移民と不法移民の区別がついていません(私はこういう部類の人とは付き合わない主義)。

悲しいかな、これがアメリカ社会の現状で、これからアメリカ移住を考えている人は、この点を覚悟しておいて損はないと思います。さらに相当な時間と金銭的かつ学業・職能的な準備が必要だし、たとえ準備万端であっても就労ビザやグリーンカードを自力で取るにはかなり運に頼ることになってくると思います。というのも、アメリカの移民法は政権交代のたびにコロコロ改正される上、国内景気・情勢によってビザ発行数が上下するためです。

私がアメリカへやってきた時も9.11以降だったので既に全カテゴリーの就労ビザは厳格化していましたが、私が取得したH1bビザのくじ引きはまだなかったので、今よりは取得可能性が高かったと思います。若い時に決心して準備して結果的に吉となったわけですが、それより運の良さがあったんだと思います。

そこで、多くの外国人が思いつくのが、”アメリカ人と結婚してグリーンカードを取るのが一番手っ取り早くて、簡単”ということだと思います。実際にグリーンカードありきで、アメリカ人と付き合うことを目指している日本人を多く見てきました(日本でもアメリカでも)。これは、はっきり言ってアメリカの移民法に反しているので、お勧めできませんし、たとえ、この下心を隠したままうまく結婚に至って、グリーンカードを取得できたとしても、その後にどんでん返し(泥沼離婚など)がやってくる可能性が高いので、なるべく避けた方が良いと思います。これはあくまで私見ですが、基本的に合理主義(損得感情が高い)のアメリカ人の多くは、外国人と結婚してその外国人配偶者が結婚ベースのグリーンカードを取得した場合、相手にグリーンカードを”あげる”という考え方です(口に出さなくともこう心の中で思っている場合が大半)。つまり、”自分のおかげで相手は世界中の皆が欲しがるアメリカグリーンカードを手に入れた”と思っているわけです。こうなると、どうしても外国人配偶者よりアメリカ人配偶者の方が立場が有利になってしまいます。この優位性は、実は離婚訴訟でも裁判官の判決に影響するそうです(離婚理由にもよりますが)。つまり、裁判所も結婚ベースのグリーンカードは外国人にとってアメリカ人配偶者からもらった資産として受け取られているということです。夫婦でアメリカに住んでいる場合はこの立場に陥るのがほとんどです(気付くか気づかないかは本人次第ですが)。よほど、既にアメリカに自力で移住して来て、仕事も成功していて収入も高く自立している外国人がさほど収入が高くない(もしくは職なしの)アメリカ人と結婚した場合は例外ですが(このケースは稀)、そもそも、グリーンカード目的でアメリカ人と結婚する外国人はこの部類には当てはまらない場合が多いんですね。要は、結婚してグリーンカードをスポンサーしてもらう場合、こういうリスクが伴うということを予め覚悟する必要があります。だから、このパターンで付き合い始めて結婚してグリーンカードを得た人は、足元見られてしまって、結局離婚して国へ帰ることになったという話を良く聞きます。まさに他力本願が仇になったというケースが結構多いんです。

ですので、アメリカ移住ありきで、”一番手っ取り早い結婚ベースグリーンカードが欲しい→そのために兎に角アメリカ人と結婚したい”という考えは捨てた方が良いです。どうしても”移住先はアメリカしか考えられない”という人は、何とか自力でアメリカ移住の道を切り開いてください。いきなりグリーンカードは無理でも、比較的取得しやすい学生ビザあるいは就労ビザ(特に駐在員ビザ)という手があります。そこからグリーンカードへ繋げる努力を何年かかっても地味に続けていればグリーンカードへ到達する可能性は上がります。

上記で、”移住先はアメリカしか考えられない”人という表現をしましたが、私も結果的にはこの部類に入っていたわけですが、当時その他の国を全く考えなかったわけではありません。事実、アメリカのビザ取得は既に厳しいという話は聞いていたので、カナダのビザ基準を結構真剣に調べました。オーストラリアも少し調べたはずです。ただ、カナダの就労ビザは当時既にポイント制(学歴・職歴・年齢でポイントが加算される)で統一化されていたので、就労ビザは1種類しかなかったかと思います(記憶が曖昧ですみません)。それに対して、アメリカの就労ビザは無数に種類があり、そのうちの(当時)一番取りやすいと言われていたJビザとどちらが取りやすいかと考えると、私の答えとしてはどっちもどっちかな、という結論が出たことを覚えています。だったら、日系の仕事がより多そうなアメリカにしようと思ったわけです。
つまり、カナダ移住も巷で言われているほど簡単ではないということです。やはり、自国で学歴、職歴、財力的な準備が相当必要だと思います。

ということで、”じゃ、北米はどちらも移住はハードルが高いので諦めろ”ということかと思われるかもしれませんが、そうではありません。確かに、いきなりグリーンカードを狙うのはほぼ無理と言えるかもしれませんが、留学で、もしくは駐在員でまずはアメリカへ入国してそこから地道に人脈や実力を養っていくと、かなりグリーンカード取得の可能性は上がってくると思います。

では、次の巻ではその他の国・地域への移住について、私なりの考えを語りたいと思います。

ご覧いただきありがとうございました。


2019年12月12日木曜日

【米国 移住】日本脱出ブーム?

いつも、日本のニュースはYahoo Japanなどから入手しているのですが、ここ最近目立って増えている記事があります。ズバリ!日本の衰退についてです。

どこかの調査団体が日本の二十歳前後の若者数万人(?)を対象に、”日本の将来は明るいと思うか?”的な質問をしたそうです。”そう思う”と答えた若者はわずか2割弱しかいなかったとのこと。つまり、残りの8割が”日本はもう先行き暗い”と思っているということです。

個人的にはその調査結果に納得してしまいましたね。そもそも、私は就職超氷河期世代だから、当たり前といえばそうですが。就職が随分と容易くなったであろう現代の若者でも私ら世代と同じ感覚だというのはどういうことなんでしょうかね?

まぁ、私たち中年世代が老人になる頃には、日本の年金もあるかないかわからないらしいので(私は26で日本を出たので日本で年金はもらえないと覚悟しています)、今の若者が老人になる頃は年金ゼロになっていてもおかしくないわけで・・・。後は、少子化がどんどん進んで、日本国内に外国人が半分位になっているなんて言う日もそう遠くないかもしれないし・・・。

また別の調査では、日本人労働者の平均月給(手取り)を調査したらしいですが、1980代初めから2000年までの約20年間で平均月給が10万円増えたのに、2000年から2019年の約20年間でわずか2万円しか増えていなかったのが判明したそうです。これだと、毎年約2%のインフレ率(仮定)を入れてしまうと、逆に手取りが下がっているんじゃないか、ということになります。

こういう状況を踏まえての、若者の回答だったのだとしたら、悲しいですが、日本はもう若者にとって居心地の良い国ではないということでしょう。私も若い頃、正しくそう考えていたので、日本を出る決心をしたわけです。

ほんの10年くらい前のニュースで、日本の若者は”内向き志向”で、海外へ行きたい(住みたい)と思っている若者は少数派という記事をいくつか読んだ記憶があるのですが、そう回答した人たちは現在30代になっていると思いますが、今はどう考えているんでしょうかね?
私などは、二十歳になる以前、高校生くらいから、”将来どうやったら海外に住めるのか”ばかり考えていたので、その”内向き(国内)志向”というのがどうにも解せないなぁと思いながら、それらの記事を読んでいたのを思い出します。

しかし、ここ最近の若者は、ちょっと違っているようですね。上記の調査結果からも何となくわかりますが、日本の将来は暗いともうわかっているようなので、今後は海外志向の日本人が増えていくのかもな、と思ったりしている今日この頃です。

今回はここまでです。
次回は、日本脱出の続き、”では、どこの国へ脱出するのか?”などについて私の考えを語ってみたいと思います。

2019年12月6日金曜日

【アメリカ生活 経験話】アメリカ人の金銭感覚

今回は、アメリカの経済や景気、あるいは、アメリカ人の金銭感覚的なお話を私の経験からご紹介したいと思います。

まず、日本人のほとんどの人がご存知の通り、アメリカは戦後ずっと世界経済を牽引し続けていますね。人口は日本の1.5倍くらいでしょうか?最近のアメリカ経済の不景気といえば2008年暮れから始まったリーマンショックがまだ記憶に新しいですが、大体2012年くらいから始まった景気回復が今や最高潮に達していますね。ダウ平均は遂に28000ドルを超えてしまいましたし。そろそろバブルが弾けるなんて囁かれていますが、株価は上がる一方だし、つい先週のブラック・フライデーでのアメリカ国内の売り上げ高は過去最高だったらしいです(にしては、なぜかアマゾンの株価が下がっていますが・・・)。今朝発表された11月の雇用指数は、専門家の予想を遥かに上回って良かったらしいですし。

ショッピングと言えば、アメリカ人はクリスマス前にギフトを買いまくるのですが、どこかのリサーチによると、一人当たり平均で、約360ドルほどをブラック・フライデー頃からクリスマスまでに費やすそうです。これを聞いて、個人的には意外と金額が低いなと思ったのですが、その理由は、私の知り合いや親戚などは毎年クリスマス前になると、大きなクリスマスツリーの周りがギフトボックスで山積みになるのを目にしていたからです(大きいけど安い品のパターンもあるか・・・?)。

いや、本当に、アメリカ人の中産階級以上の金銭感覚は平均的に見ても、日本人の(私の知り合いの)それとは比にならないですね。特にクリスマスシーズンは半端ないです。もちろん、所得層にもよりますので一概には言えませんが、私の考える所、家とか家具とか車などの超高額商品は除いて、買い物に関しては”数日考えてから買う”という行動をする人にはあまり会った事がありません。ひと目見て欲しいと思ったものは速攻買いが基本だと思います。私は貧乏性なので、10〜20ドル以上くらいから良く考えて買い物してしまいます。

恐らく、アメリカ経済が今も世界一なのは、この平均的なアメリカ人の金銭感覚があってのことだろうと思います。実際に、アメリカ人の中で、”皆がどんどん買い物して初めて国の経済が回っていくんだ”と真剣に諭してくる人も多いです。ご尤もと思いつつ、日本人の癖で貯金に注力してしまいますが・・・。

貯金といえばですが、私は貯金という貯金はあまりしていません。やっているのは投資です。主に株とかファンドとかです。アメリカの労働者の退職金のほとんどがファンドで成り立っている401Kと呼ばれる投資ですので、元本が保証されていません。今から30年以上くらい昔から軍隊や米大企業でずっと働いているアメリカ人の中には元本が保証されているペンション制度に加入していて、退職時に保証金額を受け取れる人もまだ残っていますが、現在働いている人口のほとんどはもうペンションは保持していません。よって、アメリカ人の多くは、”お金を貯める=投資”という概念です。だから、多くの日本人のように”投資(特に株)=賭け”という考えを持つアメリカ人は少ないと思います。

そもそも金持ちの人でも銀行口座にお金を貯めておく、所謂”預貯金”をする人はそれほど多くないと思います。貯金するほどのお金がある人のほとんどは投資運用していると思います。残りの人口は、毎月収入はあっても、給料が入ってくるや否や速攻使い切ってしまって貯金するほどお金が残っていない人が多いですね。身内にも複数います、こういう人。

つまり、アメリカは経済が世界一と言っても、上述のように完全に二分化されてしまっているんですね。貧富の差が激しいと言われる所以です。

しかし、不思議と、裕福な人もそうでない人も、アメリカ人は平均的にかなり寄付をしています。教会に通っている人はもちろんですが、どの宗教も信じていない人でも年間平均2000ドルくらいは寄付金を拠出しているらしいです(連邦税務省IRSの数年前の情報によると)。ローカルのニュース番組を見ていると、家が家事で焼失したとか、事故に遭って怪我をしたとか、強盗に遭ってお金を盗まれたとかいう話が出てきますが、そう言った話の最後には必ず被害者によって設立されたGoFundMeという寄付サイトのアカウントへ寄付してください、という案内がされ、こういった場合のほとんどは目標額以上の寄付金が集まるそうです。あと、寄付は年がら年中どこでも勧められます。その典型が、ガールスカウトです。毎年決まった時期に(春?)あらゆる店先にガールスカウトの女の子達が机を並べて、不味い(本当に不味いんですこれが)、クッキーなどのお菓子を道ゆく人に売りつけようと必死になります。多くの人は大抵毎年この不味いクッキーを買ってあげるのですが、私はあまりに不味いのでもう今は買わなくなりました。それに、結構内容量のわりに高額なんですね、これが。しかも、こうやってせっせこ寄付金を集めても、ガールスカウト協会のお偉いさんが集金金額の8割以上を吸い上げてしまっているという話を聞いてから、余計にこれには寄付しなくなりましたね。それと、ガールスカウトに入隊できるような子供の親はそこそこ裕福なので、必要経費は親に払ってもらったらいいんちゃうの?と思ってしまいます。

あとは、スーパーや衣料品店や、ドラッグストアーなどありとあらゆる店で買い物すると、精算のついでに必ず、乳がんや心臓病や糖尿病や・・・あらゆる病気の撲滅キャンペーンとか、孤児のためとか色々な理由をつけて寄付するかを尋ねられます。こういうのがあまりに頻繁なので、最近はいつも”No"と言っています。まさにキリがないんです。なので、私の場合、寄付は動物愛護協会とか、サルベーション・アーミーという米国ではきちんとした寄付団体に対してのみ行っています。実は詐欺の寄付も横行しています。寄付精神が盛んなアメリカだからこそ、人の良心を利用している輩も多いのです。

少し、話が金銭感覚から脱線してしまいましたが、言いたかったのは、アメリカ人はショッピングにも大盤振る舞いしますが、寄付にも割とそういう傾向があるということです。
結論としては、アメリカの国内社会でお金が良く循環しているわけですね。それがあっての、アメリカ経済なんだと思います。

今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。


2019年10月31日木曜日

アメリカで働くということ〜職場の詳細情報−その2 アメリカ 移住 方法の解説

今回は、前回の投稿の続きのアメリカで働くことについてのお話です。



私は東京で新卒就職してから5年弱ほど一般企業でOLをしていたため、日本と米国での職場比較が容易なので、日本に住んでいる皆さんにとっては合点が行く話だと思いますが、まず、日本の職場では政治の話はタブーである場合が多いのではないでしょうか?

日本の職場で、例えば首相の悪口や政党の方針や選挙についての話をした記憶が私にはありません。多分、タブーだったからだと思います。恐らく、残業後の同僚同士の飲み会などでは話すこともあったかもしれませんが、まぁ、あまり話題に上がったことはないように思います。



私が渡米してから、インターン後に最初に正社員登用してもらった日系会社(H1bのスポンサー)で勤務していた時の上司は日本人の駐在員だったのですが、その人に、”アメリカでも職場であまり政治の話をするのは良くない”と言われたのを覚えています。

しかし、その同じ職場内でしばらくして、ブッシュ大統領の再選があったのですが、その選挙あたりになると、アメリカ人の同僚が熱い政治トークを切り広げていたんです!それを見て、驚いたことを覚えています。”職場で政治の話、めっちゃしてるやん、いいのかな?”と思ったわけです。でもその時は、その二人(中年アメリカ人男性)だからかなと思っていました。人数的にも10人以下の極小規模の職場だったから、皆お互いに仕事仲間というより家族のような雰囲気だったのも理由かもしれませんが。

それから、しばらくして、その職場を離れて、次の職場(大手日系)で働いていた時はなぜかあまり同僚が政治の話をしていたという記憶がありません。しかし、その数年後にアメリカ企業へ転職したのですが、やはりそこでは仲の良い同僚同士で結構政治の話をしていましたね。特に、ランチ時間中とか。当時はトランプが大統領選に立候補したところで、アメリカ人の政治・選挙に対する関心が爆発的に高まった頃だったというのが大きいと思いますが・・・。”今時、大統領になるには既に有名人になっていなくちゃいけないんか?!”みたいな話から、トランプやクリントンの悪口など、結構ぶっちゃけトークを繰り広げていました。だいたい皆の意見をまとめると、”どっちもどっち”という感じでしたが。

ちなみに、アメリカ人が政治の話をする時は、必ず自分はどっちの政党派かはっきり言うのが当たり前です。自己主張の激しいアメリカ人らしいですね。こと政治の話となるとこれがあてはまるんではないかと思います。これは職場でもプライベートでもどこでもです。逆に自分はどちらでもない(独立党派)などというと、どちらかはっきりするまで説得にかかるアメリカ人もいます(大きなお世話)。

逆にいうと、アメリカ人同士で政治の話になって、ちゃんと自分の応援する政党について語ることができない人は、あまり相手にされなくなります。もちろん、人にもよりますが、今特に、トランプがアメリカの政界をかき混ぜまくっているため、しっかり今の情勢に関して自分の意見を述べることができないと、”それでもアメリカ人か?!”と疑われるわけです。

流石に、職場で政治トークになって、相手に掴みかかってでも持論を繰り広げようとする人はいませんが、プライベート仲間でこういうシチュエーションになると、結構、半分喧嘩腰になり、面倒臭いな〜と思ってしまう場面が少なくないです。私はこういう場合は、相手の話をふんふんと聞いて納得して、とりあえず”あんたの言いたいことはわかったし、納得できる”みたいな応答をするようにしています。自分と応援する党が合致した場合は、話が弾む弾む(笑)。私のお隣さんは、60代後半の退職した白人男性で、大のトランプ派なので、毎日、庭で私と立ち話をする度にトランプの話になり、まるで自分の親戚か友達かのような自慢話をします。ちなみにこの人の友達の一人が、トランプのフロリダの別荘地でトランプ専属のゴルフキャディをやっていて、その人の口利きで、この隣人が昨年ホワイトハウスへ招待されて、大統領室へ入らせてもらったそうです。要は、そこまでの熱いトランプファンなんですね。毎日、”Make America Great Again"のロゴ付きの赤いキャップやT-シャツを着ています。ある意味、感心します。

私は、断固不法移民には反対なので、どちら派かと問われると、トランプ派(共和党)と答えています。なので、お隣の親父とは気が合うわけです。それを隣の親父も知っているので、いつも私にトランプ自慢を繰り広げるわけですね。

話が少しずれてしまいましたが、言いたかったことは、アメリカ人は職場でもプライベートでも関係なく、政治の話をする人は堂々とどこでもするんだ、ということです。だから、職場で政治トークはタブーというわけではなさそうです。あくまで、私の経験からの話ですが。

しかし、どこまで熱い政治トークをして良いかという判断基準はやはり、職場とプライベートでは明らかに線引きがされているように思います。

ただし、相手がアメリカ市民ではないとわかっている場合は、まず、アメリカ人は政治の話はしてこないでしょうね。選挙権がない相手に政治の話をするだけ時間の無駄だからです。逆に、選挙権がないのに政治の話をアメリカ人に持ち出すと、”あんたの意見なんか誰も気にしないよ”と言われるのが、せいぜいのオチでしょう。

また、余談になりますが、アメリカのメディア界は露骨なので、テレビ局によって共和党派か民主党派かにはっきり分裂しています。FOX系チャンネルは断然共和党で、CNNを始め、CNBCやABC、CBS系列は民主党です。なので、政治の話をしなくともアメリカ人にいつもどのテレビ局系チャンネルを見ているかを聞くと、どちらの政党派がすぐにわかってしまいます。ちなみに私は以前はCNNを見ていましたが、市民権を取得してからはCNNは一切見なくなりました。フェイクニュースとキチガイレベルのトランプへのやっかみが見ていられないレベルになってきたので。今は主にFOX系ですね、全米ニュースを見るときは。ニュースキャスターの言っていることがFOXの方が明らかに常識的で妥当だと思います。

今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。

2019年10月29日火曜日

アメリカで働くということ〜職場の詳細情報

過去の回で、ざっくばらんにアメリカ社会で働くことについてご紹介しましたが、今回はさらに踏み込んでアメリカの一般的な私企業の職場での日常的な雰囲気とか文化や慣習についてお話ししたいと思います。

ただし、私のこれからお話しする内容はあくまで、私の過去17年間ほどにおける、アメリカ自動車業界でのごく一般的な企業(日系5社+米系1社)のオフィス内での勤務経験に基づいたものなので、当然ながら、個人差が大いにあると思います。その点はある程度差し引きして読んでいただければと思います。要は”人による”話ということで・・・。

まず、アメリカの社会人の朝は早いということは以前もお話ししたと思いますが、それはなぜかというと、アメリカの子供のいる一般家庭では、親が子供の学校の送り迎えをする必要があるからだというのが理由の一つだと思います。日本のように子供を徒歩で自分たちだけで登校させることはできません。親が学校まで送り届けるか、スクールバスのバス停まで見送るかですが、まず、スクールバスの出発が学校によっては異常に早かったりするようです。住む場所にもよるそうですが、早い所だと朝7時くらいにはバスがピックアップにやってきます。アメリカでは子供が13歳くらいになるまで、一人で家で留守番をさせられないため、子供が登校する瞬間まで親が面倒を見なくてはいけません。
以上のような理由もあり、その他の家庭事情(あるいは、単に夕方早めに帰宅したいだけの理由もあり)によって、朝7時半とかに出勤する人はざらにいます。ですので、朝8時から会議とかはよくあります。子供のいない従業員にとっては迷惑千万なんですね、これが。
おまけに、ミシガンの場合、悪天候・寒すぎる(冬)とか学校へ襲撃脅迫状が届いた(アメリカならでは)とか水道・電気・ガスが止まった、先生のストなどの理由で学校がすぐに休校になります。それらの理由に加えて、子供が風邪引いたりして学校に行けない日は親はナニーを雇うか、その経済力がない(あるいはケチな)親は自分の仕事も休むか在宅勤務願いを出します。だから、同僚が突然当日になって休むことになったという事がよくあります。もちろん、職種によっては減給になる場合もありますが、普通の一般企業であれば上司も部下も子供に関してはお互い様という事でこういうドタキャン・在宅勤務もしくは欠勤はお咎めなしが普通です。
しかし、従業員の中には、せこい人もいるもので、これを逆手に利用して、子供の調子が悪いとか言って子供を頻繁に病気に(なったことに)して当日に在宅勤務希望をする人をちょくちょく見かけます。こうすることで、有給やシックリーブ(病欠用の休暇)を使わなくて済むのでね。こういう人は決まって、”何か私に用事があれば携帯にいつでも出られるので、電話してね”というので、実際に電話すると、まぁ出ない(笑)。アメリカはシングル・マザーやファーザーが多いので仕方がないといえばそうですが、これが嘘だとバレる場合もあり、その場合はいずれ首がかかります(当たり前)。
これは私が働いていた日系企業でも米系企業でもどちらでもよく見かける光景でした。というのは、アメリカでは何系企業でも従業員一人ひとりの人事考課は毎年しっかりと実行されるので、ここで欠勤が多いと減点され、ボーナスや昇給に響きます。最悪、首が言い渡されます。

上記に加えて、車通勤が基本の地域に住んでいる場合は、渋滞事情によって毎日きっかり同じ時間に出勤するという事がほぼ不可能なので、毎日皆出勤時間が30分くらいの範囲でまちまちです。いつもの通勤ルートで事故が1件でも発生すると道路が封鎖されることもしばしばで渋滞にどっぷり1時間くらいハマる場合もあります。ただし、朝会議の予定がある場合はもちろん例外です(それでも遅れてくる人もいるが)。とりわけ、アメリカ企業の職場では、一人ひとりが時間きっかりに出勤してきっちり時間まで働いているか見張っている人はほとんどいないと言っていいでしょう。日系企業ではマイクロマネジャーと言って、従業員一人ひとりの細かなミスや欠点を見つけたがる上司が多かったですが、アメリカ人(あるいは日本人以外の)上司は、従業員に与えられた年間パフォーマンス目標さえ達成していれば毎日の勤務時間はほぼ気にしないという感じでしたね。遅く来たら、その分遅くまで勤務さえしていれば誰も文句を言いません。
またこれ以外にも、午後に子供を学校へ迎えに行った後、習い事へ連れていかなければならないという理由で(大概のアメリカ人男子はアメフト、女子はサッカー)、2、3時頃に退社して残りの時間は在宅勤務にするという人もいます。まぁ、こういう人は、残りの時間は子供につきっきりになるので、在宅勤務なんかしていないのが普通ですが(携帯に電話しても出ないのでバレバレ)・・・。

以上の状況が一般企業のサラリー職(年俸制)での常識ですが、同じ企業の従業員でもシフト・時給制の職種(ブルーカラー職やサービス業あるいはパート職員)の人はこれができません。遅刻・早退したらその分減給になるのでね。なので、アメリカである程度以上の高学歴者はシフト制の仕事には就きません。必然的にシフト制の職業についている人は高卒やコミュニティカレッジ程度の学歴しかない人がほとんどになります。もちろん高学歴でもシフト制職はありえますが、その分かなりの高額給料やら特典をもらっているはずです(でも時給制ではないはず)。

また、これもなんとも不公平感満載なんですが、アメリカの職場では、同じ企業の同じ社歴・階級の従業員でも就く職種によって結構な格差がある場合が多いです。オフィスワーク職より技術職や営業職の方がかなり優遇されている(昇進が早い)のはほんの一例です。また、上司やチーム・部署によってもかなり勤務条件に差があります(時短勤務や在宅勤務の許可レベルなど)。それに、同じチーム内の似たような職種でも、タイトル(役職名)の微妙な違いのため(Account ManagerとSales Managerなど)、職務評価の基準や難易度に明らかな差が発生しているという事が珍しくありません。私が考えるに、人事部には従業員一人ひとりに対する実績目標や給与・ボーナス額の決定権がないため、最終的には各上司の自己中心的な好き嫌い(依怙贔屓)での判断になってしまう事が多く、それが昇進スピードにも影響し、職歴が浅くて職務能力も並な上司のお気に入り社員が職歴が長くて優秀な社員より上のレベルへ昇進してしまい、給与も後者よりかなりもらうという事態が発生してしまうのだと思います。この給料(ボーナスを含めた年俸)の差に関しては、特に雇用者が就労ビザのスポンサーである場合は、大抵の職場では低く抑えられます。また、同じ学歴と職歴を要する同じ職務内容でも、米系(あるいは非日系)企業の方が日系企業より遥かに給与基準が高いです。なので、一度米系企業で高い給与をもらった経験のある人は日系企業では働きたがりません。私も米系企業で働いてからそう思うようになりました(それに気づいた日系企業は最近給与基準を上げてきていますが)。
よって、日本のように社内の皆が平等な条件下(給与、昇進を含め)で勤務していなければならないというルールは(一応全社的人事方針はありますが)、実質的には実行されていない職場が多かったですね。もちろん日系企業は日本本社の手前もあるので、この点は米系企業より平等性が高いとは思います。でも、こちらの日系企業のほとんどが既に現地化しているので、現地人(日本人以外)が上司である場合が多いです。
そもそも、アメリカではその企業に入社する際に雇用契約書に署名する事が求められ、そこに各人の置かれた職務条件がぎっしり記載されており、それに署名するということはその書面上の一言一句を受け入れたということになるので、文句があるならその企業で働くことを拒否すれば良いだけ、という話になります。

おまけに、雇用契約書と共に、ミシガン州を始め多くの州では”At Will Employment"に対する合意書にも署名を求められます。このAt Will Employmentとはどういうことかというと、雇用者、従業員のどちらからでも雇用契約解除を申し出られるということです。要は、雇う側も雇われる側も、相手が嫌になったら首切るか辞める事がいつでもできるということです。もちろん辞職する場合は、きちんと辞表を提出する事が基本原則です。どれくらいの猶予が必要かというと、たったの2週間です。なので、実質、こうなると次の人への引き継ぎはできないんですね。でも会社は文句が言えません、州法には違反していないし、会社側も2週間くらいで従業員を解雇できるからです。正にどっちもどっちという話・・・

こんな感じなので、アメリカでは解雇や従業員自らの辞職(大概は転職が理由)は日常茶飯事です。

ちなみに、転職による辞職ですが、アメリカでは現職で働いている間に転職活動をして次の仕事が決まってから次の職場での勤務開始日の2週間前に辞表を提出するのが普通です。次の仕事が決まっていないのに、ただ単に現職が嫌だからといって辞める人はほとんどいません(私の周りには)。こうする事で、次の雇用者と給与交渉する際に有利になるからです。現職より高い給与を提示しなければ次の職場へ誰も移ってきてくれないのはアメリカ社会で働く者にとって常識です。
このため、アメリカで転職する場合の十中八九は、転職=給与アップになります。アメリカでは減給になるのに”やりがい”があるからと言って転職する人は99%ありえません。そもそも”やりがい”なんてアメリカ人は仕事に求めていないのです。働くのはあくまで生活のためです。やりがいなんてどうでもいいというのが一般的な考え方ですね。私はこの考え方に賛成です。なので、アメリカ社会で働くようになって仕事に対してかなりドライになりました。日本では転職面接の際でもお金の話をするのが御法度のような雰囲気になりますが、アメリカではまずお互いが考える希望給与枠のすり合わせから始まります。いくらお互いを気に入っても、希望給与がマッチしなければ採用にかける時間と労力の無駄になりますから。
その上で、転職者は給与交渉の際にできるだけ高い希望を出して高値を取り付けておく事が肝心になります。自分の経歴やスキルの安売りは禁物ですし、各職場で働き始めた時の給与がベースになって、その後のボーナスや昇給が%率で査定されるので、勤務開始時の給与額が高ければ高いほどその後の全体報酬額も高くなるというわけです。
逆にいうと、現職の給与アップを狙って、辞職する気は無いのに転職活動して次の職場から雇用契約書(オファーレター)だけ取り付けて、それに署名する前に、現職の上司へその話を持っていき、”現職の給料上げてもらわないと転職しちゃうぞ”とカウンターオファーする凄技をやる人もいます。私は個人的にそれをすると現職に残った場合、気まずくなるのが嫌なので、今までやった事がないですが、こうするアメリカ人は結構います。もちろん、これは結構な賭けになるので、現職から”どうぞ転職したいなら出て行ってもらって結構”と言われる結果になる可能性も高いですが、そうなったらオファーもらった職場へシンプルに転職すれば良いだけの話なので、やってみる価値はあると私は思います。でもくれぐれもきっちり次の職場の採用担当のサイン付きのオファーレターを受け取って転職が確実になったことを確認する事が重要です。

さて、またまた、長文になってしまったので、続きのお話は次回にしたいと思います。

ご覧いただきありがとうございました。


2019年10月24日木曜日

私がアメリカ人になった理由〜米国市民権取得の決断 私のアメリカ 移住 方法の解説

前回までに、私がどのような就労ビザを取得して渡米してこれまでアメリカで働いてきたか、また、どうやって雇用ベースのグリーンカードまでたどり着くことができたかの苦労話をご紹介しました。

今回は、その後、なぜ、私が米国市民権(アメリカ国籍)を取得する事にしたのかをお話ししたいと思います。と言うのも、私の知る限りで言うと、在米日本人のほとんどはグリーンカードを取ったらそれで目的達成となり、米国市民権には興味がありません。永遠にグリーンカードを維持するつもりの人がほとんだと思います。その一番の理由は、みなさんご存知のように、日本国憲法で二重国籍が禁止されているため、”日本国籍を喪失したくない”、と言うことだと思います。私も、米国市民権を申請する前にその事で少し悩みました。また、次に多い理由は、”いずれ老後は医療費の安い日本で暮らしたい”、だと思います。これも良くわかります。アメリカの医療費は高騰する一方ですから。

私も実は、グリーンカードをずっと保持するつもりでした。色々と老後のことをしっかり考える前までは。日本国籍を捨てる心の準備ができていなかったのが、正直なところ。
そこで、まず、実際に、自分は日本とアメリカのどっちで老後を過ごしたいか自問自答しました。私の答えはアメリカでした。そもそも、私は渡米する際、アメリカで骨を埋める覚悟でやってきました。ですので、この答えは最初から出ていたと言ってもいいでしょう。とは言っても、老後は1年のうちの数ヶ月くらいは日本で過ごすつもりです(体力と健康の限り)。家族や友人がまだ沢山いますからね。でも、あくまで拠点はアメリカだな、と言う結論に至りました。
そこで、思い返すと、私は日本で戦後の第2次ベビーブーマーとして生まれ育ち、凄まじい受験戦争に揉まれ、大学卒業の頃には折しもの超就職氷河期に合い、日本政府から見捨てられた世代としてかなりの苦労を強いられた部類の一人です。そんな日本社会(政府)にはもう期待しないことを決心して身一つでやってきて、アメリカで運にも恵まれ、それなりに良い人生を送るチャンスを与えてくれたのは紛れもなくアメリカ政府(就労ビザやグリーンカードを許可してくれたわけですから)だと気付いたんですね。だったら、自国民に一切チャンスを与えてくれなかった日本より、数々の人生再起のチャンスを与えてくれたアメリカに恩恵を返すべく(税金を払いながら)残るべきではないかと思ったのが一番の理由でした。つまるところ、子供の頃から受験戦争などで努力・葛藤したにも関わらず、就職氷河期世代になってしまったが最後、日本社会の恩恵は何も受けられなかったし、これからも受けることはないだろうと確信してしまったのです。年金だって、日本ではもう我々の世代が老人になる頃は受給額があるかどうかすらわかりません。それに対して、アメリカの人口は今だに増加傾向なので、今後も年金がゼロになることはあり得ません(私の場合、受給額も日本の数倍になるし)。だったら、今まで日本政府に苦渋を吸わされた分、アメリカ人という外国人としてこれからは日本へ行って”おもてなし”をしてもらおうじゃないの、という結論に至ったのです。

もちろん、税金を払う以上アメリカの大統領選挙で投票したいというのも理由の一つです。あと、後付け理由ですが、アメリカで今後も人生送っていくには、やはりアメリカ国籍を取得してアメリカ人になった方が様々な面で有利になるためです(特に訴訟問題に巻き込まれた場合など)。”グリーンカード保持者はほぼアメリカ人と同等レベルと見なされる”と思っている在米日本人永住者が多いですが、これは転職の際の条件に限っての話です。当のアメリカ人に言わせると、グリーンカード保持者はあくまで外国人なので、はっきり言って、2等級市民(部外者)扱いです。そうです、アメリカという国(政府)は基本的にいつの時代でも自国民を優先し、外国人ははっきり言って国にとってどうでも良い存在です。”アメリカが嫌ならとっとと国へ帰れ”、と外国人に向かって堂々と言うアメリカ人は多いです(ご尤も)。その証拠に、ただの永住権保持者とアメリカ国籍者とでは、連邦政府から受け取れる社会保障や金額にも大きな違いがあります。当然ながら、アメリカの保証制度はアメリカ国民のみのためにあるため、年金や障害者保険、雇用保険などの中には、永住権保持者でも受け取れないものがいくつかあります。そのため、私の出席したアメリカ市民権の宣誓式では、職員の人が、この式が終わったら速攻でソーシャルセキュリティ・オフィス(社会保障事務所のような所)へ行って、アメリカ国籍を取得したことによるステータス変更手続きをするように言われました。アメリカ国民にしか享受できない社会保障が沢山あるからだと言っていましたね。

また、これは最近に限っての話ですが、にわかにトランプを追い出すことに躍起になっている民主党に言わせると、在米外国人は将来自分たちの味方になってくれる存在と期待していますが、その外国人が将来アメリカ人になったら民主党に投票するとは限りません。恐らく、その反対になるでしょう(あくまで私見)。しかし、思い返すと、クリントンやオバマですら不法移民の追い出しに躍起になっていたし、9.11以降はどちらの政権下でも合法移民制度は厳格化する一方です。だから、過去、どちらの政党が大統領になってもアメリカと言う国はアメリカ国民を優先する(自国民保護主義)スタンスは変えていないわけです。この点からしても、外国人を自国民より優先する日本政府とは全く逆ですね(就職氷河期世代より外国人労働者を優先しているわけですから)。でも、国としてアメリカのやっていることが正しいと私は思います。自国民を尊重しない国はいずれ滅びるでしょう。

また、これはさらなる追加理由になりますが、アメリカの移民法は大統領が変わる度にコロコロ変更されます。今のところ、グリーンカードを最低5年保持で市民権の申請資格が得られると言うのは基本ルールになっていますが(例外で3年保持)、これがいつの日か5年ないし10年かそれ以上にならないとは限りませんし、審査要件も一層厳格化してほとんどの永住者が実質帰化できなくなる、なんてことが全くあり得ないとは誰も断言できないでしょう。また、あらゆる就労ビザやグリーンカード発行数も既に実際に減少しています。そこで、”取得できるうちに取得できる権利を取っておく”というのはあながち間違った考え方ではなかろう、と思ったわけです。

ちなみにですが、在米日本人永住者が多く考えている、”老後は日本とアメリカで半々の生活をする”と言う計画ですが、この計画をグリーンカードのままですると、だいたい2年目くらいで、次に米国へ入国する際にグリーンカードを米国政府に没収されてしまいます。永住権の規定で、グリーンカード保持者は基本的に米国に継続的に居住して社会貢献する(納税など)ことが要件になっているため、毎年50%以上の期間をアメリカ国外で過ごしていると(出張・駐在も含め)その要件を満たしていないと見なされるからです。これは市民権申請の際も問題になります(申請却下される可能性も)。もちろん、この規定の免責許可を取ることもできますが、せいぜいそれができるのは人生で1〜2回くらいらしいです。と言う以上の事実を、私なりの調査で発見しました。これもあって、市民権を取ることにしました。アメリカ人である限り、どれだけ国外滞在していてもアメリカ入国を断られることはあり得ません。それに、日本は血族主義なので、元日本人は簡単に長期滞在許可(3−5年)が取得でき、これで自由に日本で働ける上、日本に1年以上居住していると永住権も取得できます。まさにWin-Winだと言うわけです。(これをWin-Winと思うかどうかは個人差ありますが)

さらに余談ですが、以上のことを知った上で、日本国籍を捨てる覚悟ができないまま成人になってから自分の意思で米国市民権を取得する在米日本人は実は多いです(インターネットなどで見かけますし、口コミでも聞きます)。つまり、勝手に自分を”自称”二重国籍者にしてしまっている人たちです。こう言う人は、甘い日本の入国審査を利用して、日本へ入国する際は日本のパスポートを見せ、アメリカへ入国する際はアメリカのパスポートを見せているようです。まさに、日本とアメリカのいいとこ取りをしようとしているわけです。しかし、これははっきり言って犯罪ですよね。日本の入国管理法か何かの違反になるはずです。見つかれば2度と日本に入国できなくなってしまいます。

ちなみに私は、何事もあやふやにしておく事が嫌いなため、米国市民権を取得した直後に、”国籍喪失届”を在米領事館へ提出しました。これで、私の唯一の国籍はアメリカになってしまったのです。もちろん、自分の決断なので、後悔はありません。
次に日本へ行く時は、日本の入国審査で外国人の列に並ばなくてはならないのが、玉に瑕ですが・・・

今回は以上です。
ご覧いただき有難うございました。

2019年10月16日水曜日

アメリカでの転職とH1bビザについて アメリカ 移住 方法の解説

今回は、アメリカで最初の転職とそれに必須となる就労ビザのスポーンサー探しについて、私の経験を元にお話ししたいと思います。



まず、アメリカで外国人が働くにはグリーンカードか何らかの就労ビザが必要になります。就労ビザで働く場合、スポンサー企業に正社員として雇われる必要があります。アルバイトとか派遣・契約社員では就労ビザが下りません。
日本人がアメリカに旅行で入国して、運よく現地在住の日本人と知り合いになって、その人の元でアルバイトしながらしばらくアメリカに住んでいたなんていう武勇伝を時々聞きますが、はっきり言ってこれは不法就労ですので、ご注意を。
また、アメリカ人と結婚して、就労ビザを経ずにいきなりグリーンカードを取得して就労権を獲得する日本人(特に女性)が多いですが、私はこのルートではないため、このケースは除外します。
その上で、私にとっては最初の難関となった就労ビザのスポンサー探しの経験談をご紹介します。



私は渡米の際に企業インターン目的でJ1ビザを取得し、インターンの仕事がなくなった時点で、有効期限が計18ヶ月中、まだ6ヶ月ほどしか経っていなかったため、あと1年ほど有効期間がありました。そこで、転職の際は、相手企業にまず”J1ビザを保持していてあと有効期限が1年あるので、それまではインターン扱いで働ける”ということを伝えました。また、それを前提に、失効する1年後までに次の就労ビザであるH1bビザ(専門職用ビザ)のスポンサーになってもらえるかどうか(つまり正社員に切り替えてもらう)もこの時点ではっきりと確認しました。せっかく転職できても、1年足らずで離職することになれば、私にとっても相手企業にとっても無駄足になってしまうためです。なぜH1bかというと、このビザカテゴリーしか私の場合は当てはまらなかったためです。その他の就労ビザといえば、日本人の多くが保持するEビザやL1ビザが有名ですが、私はすでに在米でしたし、管理職でも駐在員でもなく、しかも、職種と大学の専攻内容的に専門職になる上、J1ビザから切り替え可能な就労ビザはH1bしかなかったと記憶しています。

転職の際に、上記の話を相手企業に確認すると、9割くらいの企業からは”無理”と断られましたね。とりあえず、J1ビザで雇ってあげるけど、仕事能力次第でH1bビザのスポンサーをしてあげるかどうかは後で判断するという企業もいました。それでは私としてはリスクが大きかったので(後になれば何とでも言えるわけで)、はっきりH1bビザのスポンサーをしてくれると合意してもらえる企業をひたすら探しました。

結局、運よく、最後に1社と合意に至ったわけです。この企業にたどり着くまで、十数社にトライしたと思います。大変だなと思われる人もいるかもしれませんが、私は就職氷河期世代で、日本での就職でこの何倍もの苦渋を吸わされた経験があったので、結構”こんなもんかな(しかも慣れない異国の地だし)”くらいにしか思っていなかったですね。

面接の際に、面接官の方(のちの上司)に後日言われたのですが、私の合格の決定要因は、私が日本で大学を卒業し、日本にて数年間の(日本企業での)実務経験があった上、一人で渡米して自力で生活するバイタリティがある、ということだったようです。もちろん、日英のコミュニケーション能力も重要です(これは最低条件)。この方曰く、米国で採用活動していると、留学で渡米してそのまま米国で就職した(しようとしている)人はたくさんいるけど、日本で就職して少なくとも数年間、日本できっちり正社員として働いていた人が単身渡米して、転職するケースは珍しいらしいです。日本と米国の両国で実務経験があるというのは大きなメリットになるようです。ですので、将来米国で転職を希望されている方は、まずもって頑張ってできるだけ良い大学へ行って、日本で数年働いて専門実務経験を貯めることをお勧めします。専門実務でも技術系であれば、米国で割と簡単に職が見つかると思います。私は典型的な文系なので、こちらに来て、学生の頃にもっと理数系を頑張っていたらなぁ、と後悔しました。給与額も雲泥の差だからです。

ところで、このH1bビザですが、現在は年間の発行限度を毎年大幅に超える数の申請があるようで、まず審査の前にくじ引きになっているようですが、私の時は9.11の数年後だったということもあり、申請者で溢れかえる状態ではなかったので、くじ引きはありませんでした。最初は3年期限で1度だけ更新でき、あともう3年有効になります。よって、計6年間私はH1bビザを保持していました。

上記の面接に合格したミシガンの企業でJ1ビザで半年ほど働いた時点で、上司からそろそろH1bビザの申請準備を始めた方がいいのではないかと打診されました(良い上司でした)。この企業のルールで、米国政府に払うビザ申請料は会社が負担するけど、移民弁護士費用は自己負担でした。ですので、まず、自分で移民弁護士を探しました。私の場合、ここで意外と苦労しました。というのも、H1bビザは大学での専攻内容と現職の内容が一致していなければならないのですが、私の場合、大学で言語を専攻し、職種内容は国際物流・貿易だったからです。しかし、仕事の一環で専攻した言語を使ってコミュニケーションを取る必要があったので、全く一致していないわけではなかったのですが、弁護士にとって米国移民局を説得させられるだけのかなり高い弁明能力が求められたというわけです。
米国の弁護士は勝率や評判が命ですから、勝算が低い案件は受けたがらないのが通常です。
まず私はインターネットで、日本人向けのH1bビザ取得経験の豊富そうなNYの移民弁護士に電話しました。この弁護士はアメリカ人でしたが、日本人の案件を得意としている移民弁護士で、日本人のアシスタントがたくさんいたと思います。電話口に出た日本人のパラリーガルに現職の内容や大学での専攻を説明して、就労ビザの申請手配をしてもらえないか聞いたところ、”うちでは難しい”と言われました。つまり、自信がないということだったのです。ただ、この弁護士の知り合いの弁護士でかなり難しい案件も得意としている弁護士を知っているということで、その別の弁護士の連絡先を入手しました。この弁護士もNYにいました。この弁護士に連絡して事情を説明すると、私の場合はやはり”勝算は五分五分だ”と言われましたが、”できる手が全くないわけではない。弁護士費用は少し余分にかかるけど、50%の可能性を信じで挑戦してみたいのならお手伝いできる”とのことでした。もちろん、迷わず50%の可能性にかけてみることにしました。この時の弁護士費用は合計で$6000くらいだったと思います。トライせずに日本へ帰国することを考えれば、背に腹はかえられぬという思いでしたね。この弁護士は高齢の親日家のアメリカ人男性だったようですが、私は結局日本人のパラリーガルとやりとりするだけで一度も弁護士と話したことはありませんでした。しかし、噂通りかなりのやり手だったようで、敏腕を振るっていただいたおかげで、無事にH1bビザを取得することができました!

この経験で、非常に肝に命じたことは、米国でビザ申請する際は、様々な弁護士と面接して、一番優秀な弁護士を雇うのがカギということです。就労ビザの場合、多くの企業がすでにお抱え移民弁護士と契約していて、個人で弁護士を選べられないケースが多いと聞きますが、なるべく自腹を払ってでも優秀な弁護士を雇うことをお勧めします。企業付きの移民弁護士だと、個人個人のニーズにあった対応をしてもらえないことも多く、他従業員の案件も抱えていることから、あまり従業員個人に対して親切ではない場合もあります(弁護士にとってお客さんは企業であり従業員ではないため)。あと、この場合、ビザの申請状況を直接弁護士へ尋ねることができないため、会社の人事としか話せないというのも時々問題になります。会社にとっては人事担当者があまり就労ビザの知識がなく、なおざりな対応を受けるという経験は私にもあります。

結論として、アメリカの就労ビザを狙っている人は、まずは優秀な米国人移民弁護士探しに力を注ぐというのが、人生を左右するカギになります。在米日本人弁護士でもいいですが、米国人の方がはるかに有利になるでしょう。米国政府の心象が関わっているからです。これは恐らく、H1bだけでなく、どのカテゴリーの就労ビザにも言えることだと私は思います。

さて、次の回では、アメリカの職場の話とその後の日常生活の体験談をしたいと思います。
今回もご覧になっていただきありがとうございました。

2019年10月15日火曜日

マイアミからミシガンへ2日間の引っ越しロードトリップ

前回の投稿では、マイアミでインターンの職が無くなって、全米引っ越し可を条件に転職活動をした結果、運よくミシガンの会社に採用されたお話をしました。



今回は、その後直ぐに、自家用車を使って、2日かけたミシガンへの引っ越しのお話です。




正式な採用オファーを受け取った後、なるべく早く働き始めて欲しいと言われたため、その2週間後くらいに引っ越ししたと記憶しています。
引っ越し荷物と言えば、渡米の際に持参した2つのスーツケースと、日本から船便で郵送した段ボール箱2つ分しかなかったため、引っ越し業者は使わずに、自分で自家用車に家財道具や衣類をパンパンに隙間なく詰め込んで引っ越しすることにしました。

書店で買ってきたB4版くらいある全米の地図帳を開いて経路を蛍光ペンで辿って、各ページに渡って付箋を付けて、きっちりイメージトレーニングして当日に臨みましたね。私の作戦は、途中で一泊して2日のロードトリップです。1日目はできるだけ行けるところまで行って、体力の限界になったらその近くのハイウェイ沿いでホテルを探して一泊して、2日目はなるべく楽なドライブになるよう、また夜遅くなる前に目的地に到着することを目標にしました。目的地は、前回の巻でも少し述べていた、Roommate.comで見つけたルームメイト募集相手のアメリカ人女性のお宅です。この女性はスーザンで、私より8歳くらい年上の独身女性で一軒家を所有しているキャリアウーマンです。いわゆるオーナーとのシェアハウスと言ったところでしょうか。



さて、引っ越し初日ですが、朝8時頃にホームステイ先を出発し、その後、I-95という東海岸を縦断するハイウェイに乗って北上し、途中で有料道路のターンパイクに乗ってオーランドあたりまで行き、そこから今度はI-75というハイウェイに入ったと思います。それで、出発から7時間後位にやっとフロリダ州とジョージア州の州境に到達したはずです。フロリダって南北に随分長いんだと気付いたのもこの時でした。それからアトランタ市内で夕方のラッシュアワーの渋滞にはまった後、ひたすら北上し、ジョージア州は3時間くらいで抜けて、テネシー州に突入した時は既に辺りがうす暗くなっていました。それでもまだもう少し走ろうと思い、そのまま突っ走るとあっという間にテネシーの山間部に入っていました。流石に山間部に入るとあまりホテルなど数少なくなってきたので、そろそろヤバイかなと思い、夜8時半過ぎにChattanooga(チャタヌーガ)という山間の街で高速を下りて、ハイウェイの直ぐそばにあったモーテルに宿泊しました。このモーテルが凄く雰囲気が暗くて怖かったのを覚えています。確か、宿泊料は35ドルくらいだったはずです(安すぎ!)。このモーテル以外は近くに宿泊できそうな場所がなかったので、仕方がありません。とにかく、風呂とベッドがあれば十分です。夜ご飯はこの日は抜きでしたね。疲れすぎて、食べたい気分ではありませんでした。
このモーテルに到着した頃にちょうどフロリダのホストファーザー(ピーター)から電話がきました。出発するときに宿泊場所に到着したら電話すると言ってあったのに、なかなか電話が来ないから心配していたようです。ピーターに”チャタヌーガでモーテルに到着したところ”と説明して、電話を切った後、さっさとシャワーを浴びて、速攻ベッドに入りました。寝る前にその日の1日を振り返りながら、”ここは一体どこ?!”みたいな気分になったのを覚えています。モーテルの雰囲気も悪いし、全然知らない場所だし、不安になりながら寝落ちしたように思います。ということで、1日目は合計約13時間のドライブでした。

翌朝、目覚ましで目覚めるとさっさと身支度をして速攻でそのモーテルを後にしました。テネシーの山間部はスモーキマウンテンと呼ばれるだけあって、霧がかかっていました。それでも天気は良かったと記憶しています。朝ごはんは抜きで、とりあえず、山間部を抜けようと思い、ハイウェイにのって、テネシーを一気に抜けて、ケンタッキー州に突入!ケンタッキーは山というより小高い丘がいくつも連なったのどかな田舎という雰囲気でした。ハイウェイの左右には牧場が広がっていて、芝がどこまでも続いていました。途中で、ガソリンスタンドで給油したついでに食料を買って食べて、速攻またドライブ再開。とにかくこの繰り返しでしたね。テネシーとケンタッキーは東西に長いからか、3〜4時間くらいでオハイオ州に入ったと思います。オハイオのCincinnati(シンシナティ)という南端の街に入ったら、大きな川があって、ハイウェイが鉄橋になっていたのを覚えています。そこから、また南北に長いオハイオ州の農場のど真ん中を走るI-75を北上して、午後3時頃にはミシガンに到着!そこからスーザンの家は1時間強くらいだったので、4時半頃にスーザン宅に到着したはずです。到着した時は、まだスーザンが仕事から帰宅していなかったので、ドライブウェイでしばらく待っていると、スーザンが帰ってきました。しかし、そのことを電話で伝えていなかったので(夕方頃までに着くとは言っていたが)、スーザンはドライブウェイで待つ私が怪しい人と思ったらしく、びっくりしたと後で言っていました(笑)。結局、2日目は合計で、8時間くらいのドライブでした。総走行距離にして、約1400マイル(2240キロ)の1泊2日の引っ越しロードトリップとなったわけです。

それから、無事にスーザンと再会の挨拶をして、スーザンが家の中を案内してくれ、私の部屋も見せてくれました。無事に目的地に到着できてやれやれというところでしたね。出発の時は暖かいマイアミだったのに、翌日はまだまだ寒い3月半ばのミシガンに到着。改めて、アメリカは広いと実感しました。

次の巻では新しい仕事での話と、H1bビザのお話をします。
今回も長文おつきあいいただき、ありがとうございました。

2019年10月11日金曜日

渡米後わずか3カ月内にまさかの危機!

前回の巻末で、”次はまさかの事態が勃発”と意味深な発言で締めくくりましたが、今回はそのお話を詳しくしていきます。



渡米後2カ月ほどして、ようやく念願のマイカーを入手した私でしたが、マイカー通勤になって、喜んでいたのも束の間、この数週間後にとんでもない事態になってしまいました。



ズバリ、インターン先のオーナー上司が、”インターンもういらない”と言い出したのです。
しかも、前述の通り、この上司はほとんど本社機能のあるジャマイカにいたので、私に直接会ってそう伝えたのではなく、電話でだったと記憶しています。
こうなってくると、非常にヤバイのは自分でも直ぐにわかりました。なぜなら、インターンの仕事がなくなると同時にJ1ビザが失効してしまうからです。この状況は上司もインターン斡旋業者から聞いていたようで、元々18カ月の予定でインターンとして雇った手前、満期の遥か前に一方的に解雇するのは約束違反だとでもその業者に言われたのでしょう。それにあちらも少し分が悪いという事は実感していたのか(日本からわざわざ若い日本人女性を呼んできたのですから)、とりあえず、直ぐには解雇にはしないけど、次のインターン先を自分で探し始めてそれが見つかるまで解雇は待ってくれる、という条件が出されました。この上司の心変わりの原因は、どうやらうまくいくと思っていたビジネスのアメリカ進出話が頓挫してしまったという事でした。某総合商社と組んでアメリカへジャマイカコーヒの輸入をしようとしていたのがボツになった、というような話を聞かされたのを覚えています。それで、私が一人で店番していたマイアミ事務所は必要でなくなったと。早い話が事務所閉鎖という事だったのです。



理由は私にとってはどうでもよかったのですが、とにかく転職活動を始めなければなりません。しかし、その時点で、渡米してわずか2ヶ月強。しかも日本人や日系企業が全米でもかなり少ないマイアミ近郊。この地域では、スペイン語がネイティブレベル話せない人はアメリカ人であっても、自営業する以外ほとんどまともな仕事に有り付けないのです。スーパーやコンビニの店員でさえ、スペイン語能力が必須です。スペイン語は一応大学でポルトガル語を専攻していたのもあり、少しは嗜んでいたけど、ネイティブレベルには程遠い。しかもインターンという微妙な立ち位置だったため、J1ビザの雇用者切り替えや、のちの就労ビザスポンサーの可能性も確認しなければならない。また、当時はインターネットで転職活動というのが主流ではなかったため、とりあえず、近郊にある日系企業やその他日本と関わりがありそうな会社をインターネットで調べて、住所やFAX番号を書き留めて、履歴書を送りまくりました。結局、マイアミ郊外の日系企業(物流系)とアメリカの物流会社から面接に呼ばれて行ったものの、ビザのスポンサーは無理とのこと。だったら、最初にそれを言ってくれと言いたいところだったが、ぐっとこらえて、諦めて直ぐに退散。直ぐにマイアミではもう可能性がないということに気づき、今度は全米場所は関わらずLAからNYまで色々な会社に履歴書とカバーレターを送付しまくりましたね。
そうすると、NYにある日本人が経営している小さな製造企業のオーナーさんから電話面接を受け、いろいろこれまでの日本での経歴やアメリカでの経験を話したところ、すごく気に入ってくださったのですが、J1ビザの切り替えはいいけど、その後の就労ビザ(H1bビザ)のスポンサーは金銭的にできない、と言われました。ここでもまた撃沈・・・(笑)




結局、自分で会社を見つけては履歴書を送るという作業を1ヶ月は続けたと思います。そうすると、アメリカではすでにクリスマス直前、いわゆるホリデーシーズン真っ只中になってしまっていたので、全米のほとんどの会社は半分開店休業状態。こんな時期に採用活動をする企業はほとんどありません。ということで、しばらく私も転職活動は中止となり、せっかくなので、アメリカのホリデーシーズンを楽しむことにしました(完全に開き直った状態)。余談になりますが、ホストファミリーのご近所さんがSimple Planという全米でもその頃大人気だった(今でも人気?)男性バンドのメンバーの一人のご両親だったようで、バンド全員がそのメンバーの実家へ大晦日に里帰りしたついでに実家の目の前で路上コンサートを開いてくれたのを覚えています。これぞ、アメリカならではの体験。



さてさて、年が明けて、私は全米を股にかけた(言い方偉そうだけど)転職活動を再開させました。この時からやり方を変えて、アメリカの日系人材派遣会社(リクルーター)に助けてもらうことにしました。まずリクルーターと電話面接して経歴や現状を説明して、最初に勧められた日系企業に応募してみることにしました。この時点で、リクルーターに今後どうしたいのか自分なりの将来計画を就労ビザのニーズとともに説明しましたね。具体的には、出来るだけ少なくともJ1ビザが失効するまでインターンで働いて、その後はH1bビザのスポンサーになってくれる企業を希望しました。
そうすると、その応募した日系企業から電話面接の依頼が来て(面接官は日本人男性)、無事に電話面接も合格して、次はいよいよ現場での面接となりました。そうです、この企業が私がミシガンにやってくる理由となったのです。ミシガンでの面接のため、自分でマイアミからの航空券を予約して購入しました。電話面接の1週間後くらいが面接日だったはずです。マイアミに18ヶ月住むつもりだった私は、冬用のコートを日本から持ってこなかったため、慌てて、南フロリダには数少ないコート屋さんへ言って一番長い暖かそうなコートを買いました。時は2月半ばでしたが、ミシガンはまだ10度以下の毎日だったからです。デトロイト空港に着くと、面接官の日本人男性が空港まで迎えに来てくださいました。業種は国際貨物を取り扱う物流会社です。面接での話では、日本人で、既にアメリカに住んでおり、日本でも会社員経験があって、しかも極寒のミシガンまでやってきてくれる在米日本人はあまりいないので、いつも採用に苦労しているとのこと。そういう意味では、私は日本で4、5年社会人経験があって、日本企業文化にも慣れているし、日英バイリンガルだから、ということで気に入ってもらえたようです。本当にマイアミみたいな温暖な所からミシガンみたいな気候が悪いところへ引っ越しできるのか数回確認されたのを覚えています。結局、面接はすんなり合格し、J1ビザの切り替えとH1bへの切り替えスポンサーも面倒見てくれるということで、こちらとしても願ったり叶ったりになりました。


この後、同日中に前もってRoommate.comというルームメイト募集サイトで検索して見つけていた面接企業の近郊に住むアメリカ人女性のお宅へ下見に行き、翌日、マイアミのホームステイ先へ戻りました。
ホームステイ先へ帰ると、ホストペアレントにも、ミシガンみたいな気候が最悪の所に行きたいのか何回か確認されましたね。その時私が言った答えは、”私にはもうこの選択肢しか残っていない”、でした。本当に、もう日本へ尻尾巻いてわずか6ヶ月で帰国する以外は、この道しかなかったのです。気候が悪かろうがどうでもよかったのです。

もちろん、18ヶ月いれると思っていた南フロリダを離れるのは寂しかったですが、これからまだアメリカで可能性があるのがわかって一気にテンションが上がった私でした。




次回は、マイアミからミシガンへ、マイカーで2日かけた引っ越し旅のお話をします。
今回も読んでくださってありがとうございました。

2019年10月10日木曜日

人生初のマイカー購入

前回の巻では、マイアミへ住み始めた直後のお話でしたが、今回は、その後のお話をしたいと思います。

まずもって、アメリカのごく一部地域を除いて生活に必要不可欠となる、車の入手について、経験談をお話しましょう。
前回でお話した通り、私は渡米直後はマイカーがなかったので、ホストマザーのマウンテンバイクが通勤の足でした。毎日チャリンコで行き来する私を見かねたホストファーザー(ピーター)が、”あんた、車いつ買うの?”と聞いてきたので、”なるべく直ぐに買いたいのだけど、どうやって品定めすれば良いかわからない”、とか言ったように思います。この時点で既に、11月くらいだったと思います。渡米から2ヶ月ほどですね。
そこで、ピーターが週末に車を見に連れて行ってくれると言ってくれました。とりあえず、当時は中古車買うならスーパーなどに置いてある無料の車セールス雑誌を見て検索するのが主流だったので(オンラインはまだまだ流行っていなかったはず)、何冊か入手してある程度の目星は自分で付けました。新車は?いやいや、貧乏だったのもあり、この時点で新車は全く考えてなかったですね。

で、早速、次の週末に取り敢えず、中古車なら、ディーラーで取り扱っているCertified Preownedというある程度保障付きの中古車がいいというピーターの勧めで、近くのフォードのディーラーへ連れて行かれました。ちなみに、ピーターはクライスラー乗ってたのに、なぜか、フォードだったという(笑)。
店に入ると、典型的なカーセールス員的な、白人の中年男性が商談相手だったのを覚えています。色々中古車を見せてくれ、試乗もさせてくれたのですが、これが、なかなか値段を言ってくれない。数車試乗を終えて、ピーターにメカ系を一応チェックしてもらって、またオフィス内へ戻ってきた時点で既に1時間以上は経ってたような記憶があります。で、色々セールスの親父の長々した早口話を適当に聞きながら値段をやっと言ってくれたのですが、まぁ、これがびっくりするほど高い。ピーターもこりゃあかんと思ったのか、”まだここ最初に立ち寄った所だからまた戻ってくるかもね”、とか適当なことを言って、逃げるようにそのディーラーを後にしました。

まずここで、勉強になったのは、アメリカでは、中古車が意外と高く売れるということです。多分、日本の平均額より高いと思います。当時はリースがまだ今ほど主流で無かったので、毎回新車を買える中間所得者は多くはないので、中古車の需要が高いんだと思います。

この後、2件ほど個人的に売られていた中古車をピーターが見つけてくれ、見にいきましたが、一つはやはり値段が高い割にメカが怪しいし、もう一つはかなり古い型で値段は良かったけど、直ぐに故障しそうな感じでやめました。
この次の週末に、無料雑誌で見つけた、個人経営の中古車販売店へ行くことにしました。場所はマイアミ市内でも結構治安が怪しいところだったので、もちろんピーターについてきてもらったのですが、ドキドキでしたね(今となればマイアミの治安なんてデトロイトと比べればどうってことないのですが)。で、ここで見つけた車が意外に値段も安く、見た目も割と綺麗で6年物くらいだったので、即決しました。忘れもしない、ポンティアックのサンファイヤー(緑色)という’97モデルです。値段は2600ドルくらいだったはずです。
ただ、速攻乗って帰るには、自動車保険証明やら、キャッシャード・チェック(Cashiered Check)といって現金化した小切手で支払う必要があったため、その場でデポジットだけ払って、数日後に出直すことにしました。
アメリカで、車など高額商品を購入する際は現金かこのキャッシャード・チェックで支払うのが主流です。特に個人店や個人から車買うにはローンを組んでもらえないのでこの支払い方法がほとんどですね。クレジットカードや普通の小切手だと、支払った後に支払人が支払いをキャンセルできるので、売り手としては騙される可能性があるからです。ここで、やはり前回の巻でお話した通り、現地で速攻銀行口座を開設してある程度の残高を保って置くことが重要になります。ちなみに、キャッシャード・チェックを発行してもらうには通常手数料を取られますので、ご留意を。

さて、その2、3日後、ピーターが仕事から帰宅してから、自動車保険の証書とキャッシャード・チェックを持ってデポジットを払った車を引き取りに行きました。店に行くと、既に店主が仮のライセンスプレート(紙切れに番号を手書きしたもの)を用意してくれており、支払いと保険証書を確認して書類にサインしてから車の鍵をもらって、店主と握手して”おめでとう”を言ってもらって、いざ出陣!
帰りはピーターに先に走ってもらって、私がその後から買いたてのマイカーでそろそろついて行ったのを覚えています。嬉しさ半分、ドキドキ半分のドライブでしたね。

これで晴れて、私もアメリカで初めてマイカーオーナーとなりました。
もうね、自家用車があると行動範囲が何十倍にもなるので、日常生活が一変するんですね。その上、時間を気にせず行動できるので、気持ち的に随分楽になったのを覚えています。
この車で、調子に乗って、毎日いろんな店やら図書館や銀行やビーチなど色々時間の許す限りうろうろしました。もちろん、通勤もですけど(笑)。

ちなみにですが、この中古車はこの2年後、ミシガンで他人に売りましたが、なんと、2000ドルで売れました!2年間乗ってわずか600ドルの出費です。後から知ったのですが、マイアミなど雪の降らない地域は、ミシガンなどの極寒地域と違って冬に凍結防止の塩を道路にまかないため、車体の下に錆がつきにくいということで、ミシガンで売る際に錆なし中古車としてかなり価値が上がるそうです(ミシガンで利用された車はものの1、2年で錆だらけ)。ですので、中古車を買うときは車体の下に錆がないかよくチェックすることをお勧めします。

ここで、マイカーを入手して意気揚々と過ごしていた11月頃ですが、この直後にとんだ事態が勃発します。この続きは次の巻でお話します。

今回も読んでくださってありがとうございました。次回もよろしお願いします。

2019年10月9日水曜日

さて本番!渡米後の生活開始 私のアメリカ 移住 方法の解説

最初の投稿で、私の自己紹介と共になぜ私がアメリカへ移住することにしたのかの経緯を説明しました。

さて、ここから私の渡米後の新生活の始まりです。

2003年9月11日にマイアミに降り立った私は、住居探しをする間、前もって予約してあった長期滞在用のホテルに向かいました。インターン先の日本人上司がホテルまで連れて行ってくれ、ホテルに着いた数日後に東京で知り合ったアメリカ人の友人のツテで、とある一般家庭にホームステイ(下宿)させてもらえそうだという連絡が来ました。

東京でキリスト教会に通っていたのですが、その教会の支部がマイアミ近郊にもあり、そこの信者のご家庭だったのです。結局、ホテル滞在は1週間ほどで切り上げ、ホームステイ先へ引っ越しになりました。
ホームステイ先はマイアミのすぐ北のフォートローダーデール郊外の閑静な新興住宅街でなかなかの豪邸で、そこの一番小さい子供のプレイルームに寝泊まりすることになりました。お子さんは10歳と16歳の女の子で、まさにアメリカの思春期真っ只中という感じでしたね。いろんな意味で勉強になりました(笑)。



仕事始めですが、まずもって車通勤が普通の地域で車がない、という大問題に直面。中古車買うくらいの貯金はあったのですが、免許証などの問題ですぐには購入できないので、ホームステイ先のお母さんのマウンテンバイクを借りて通勤することになりました。車で10分弱くらいの距離でしたが、行きは緩やかな坂道で、そこは常夏の南フロリダ。片道30分くらいかけて汗だくになりながらひたすら自転車を漕ぐ毎日。途中でスコールが降ってきたり、トカゲが道にウヨウヨ出てきたり・・・なんてのにはすぐに慣れ、おかげで健康にはなりましたけど、大変でしたね。


仕事内容は、コーヒー豆をジャマイカから輸入しているジャマイカに本社を置く会社だったのですが、今回マイアミ近郊に初めて米国オフィスを立ち上げるということで、そこで一人で店番よろしくオフィス事務をすることになりました。上司は日本人男性でしたが、ほとんどジャマイカにいたので、オフィスではほぼ一人ぼっち。オフィス用品やら商品の発送などで近くのお店に行って購入したり、ビジネスアカウントを開設したり。正直、思っていた仕事内容ではなかったですが、なんせアメリカで勤務したことがなかったので、こんなものかな、くらいにしか感じていなかったですね。一応、有給のインターンだったので、月1000ドルほどもらっていましたが、ホームステイではなく、普通のアパートに住んでいたらこれでは生活できなかったと思います。本当にホームステイ先の方のおかげでしたね。




私生活ですが、まず何と言っても最初の登竜門は、ソーシャルセキュリティー番号を取得することです。ソーシャルセキュリティ番号は日本でいうマイナンバーです。これが命の次に大切になる超大事な個人情報です。アメリカで就労ビザを取得した人は皆ソーシャルセキュリティ番号を取得することができます。これを取らずに働くと、所得税が収められないため、不法就労になります。学生ビザのまま、学校や政府に内緒でアルバイトしている人はいっぱいいると思いますが、そういう人は収入はPayment under the Tableといってこっそりキャッシュで受け取ることになり、それが見つかって国外追放になることもありますので、ご注意を!このソーシャルセキュリティ番号は銀行口座開設や免許証取得にも必要になってきます。ですので、渡米後はなるべく早めに近くのソーシャルセキュリティオフィスへ出向いて申請することをお勧めします。申請は予約なしで朝から列に並んでできます。場所にもよりますが、私の場合は、申請書を記入して提出した後、数時間以内に面接に呼ばれ、オフィス内で面接官に仕事やビザの照会をしてもらって、その場で合格を言い渡され、数日後にソーシャルセキュリティカードが郵送されてきました。

ソーシャルセキュリティカードが手に入ると、直ぐに地元の免許書センターである、Secretary of Stateのオフィスへ出向いて、日本から持って行った国際免許証とソーシャルセキュリティカードなどを提出しました。これも私の場合ですが、日本で既に免許は取っていたので、アメリカで取る免許はあくまで書き換えになります。これもフロリダ州の当時の話ですが、テスト会場へは自前の車で乗り込む必要があるため、車を所有していない私はわざわざこのためにレンタカーしました。ほとんどのアメリカ人は家族や親戚の車を借りていくようですが。日本では考えられないですよね。テストに関しては前もって、筆記テストのテキストを入手して(ホームステイ先のお子さんがちょうど免許取る歳だったためテキストのコピーをもらいました)、予め勉強しておいたのを覚えてます。書類提出後その場でしばらく待っていると、筆記テストを受けるよう言われ、コンピューターで筆記テストを受けた後、合格が通知されると、そこでさらに数時間待った後、敷地内のコースで実技テストを受けました。実技テストは日本のそれに比べると楽勝でした。”え、こんな簡単なテストでいいの?!”というレベルです。日本で厳しい試験を受けて免許を取った人のほとんどは楽勝だと思います。テストには試験官が同乗して、最後に車内で合否が言い渡されます。私は日本でペーパーでしたが、問題なく一発合格でした。これで、晴れて即日フロリダ州の免許証を取得することができました。




次にやらなくてはならないことは、銀行口座開設です。前述の通り、これにもソーシャルセキュリティカードと移民ステータス書類が必須になります。あとは日本の口座残高証明も持って行ったほうがいいですね。私は銀行員ではないので、詳しいことはわかりませんが、自国にお金があり、それをいずれ米国銀行へ送金する予定だとか言えばより簡単に審査に受かると思います。私は当時Bank Of Americaに銀行口座を設けました。なるべく全米に拠点がある銀行の方がいいと思います。とりあえず、普通のChecking口座を開いたら、もう一つ重要なのが、アメリカ発行のクレジットカードを入手することです。日本発行のクレジットカードでも使えることが多いですが、オンラインショップやガソリンスタンドなどでは、米国発行のカード以外は使えないことがあります。ただ、ここで、渡米直後の外国人が突き当たる壁はクレジットヒストリーが皆無ということです。要は、個人の信用度です。クレジットヒストリーは、米国内でクレジットカードを使ってきっちり毎月満額を支払うか、大きな買い物でローンを組んできっちり支払い続けるなどの行為で点数が加算されていきます。しかし、アメリカに住んで数日の人はまず持って、ローンが組めないので、クレジットヒストリーを貯めるチャンスは限りなく少ないわけです。ここで、唯一と言って良い方法が、銀行口座を開設した後、その口座にリンクさせたSecured Credit Cardを取得することです。あとは車のリースをしてきっちり支払い続けるという方法もありますが、ヒストリーが無い場合リース率がかなり高くなりぼったくられますので、あまりお勧めできません。Secured Credit Cardというのは、予め利用限度額が決められていて、その金額までしか毎月クレジットカードが利用できなくなっており、毎月請求金額を支払い続けると、クレジットヒストリーが溜まっていきます。私は、これを利用して、数百ドル限度付きのSecured Credit Cardを2年ほど利用し続けました。




以上が、私が渡米後1ヶ月以内に行った諸手続きです。私の場合、なんせ単身だった上、職場の上司もほとんど不在で頼れない(ソーシャルセキュリティ番号申請のみは仕事関連だったので上司に付き添いしてもらったものの)、唯一頼れる相手といえば、ホームステイ先のご両親のみだけど、やはり既に住み込みさせてもらえているだけで結構なご好意なのであまり彼らに頼んでばかりはできない、と色々大変でしたが、持ち前の根性と独立精神でなんとか切り抜けることができました。




さて、次の巻では、渡米2ヶ月後に行った、中古車購入などについてお話ししていきます。今回も読んでいただいて、有難うございました。次回もよろしくお願いいたします。


2019年10月8日火曜日

まずは改めて自己紹介

こんにちは。初めまして!アメリカはミシガン州に在住15年以上になりました、ヤスコと申します。
昭和51年生まれで、22歳まで兵庫県の西宮で過ごしたので、コテコテ関西人です。今だに日本語を話す際は関西弁が抜けきれていませんね。というのも、大阪の大学を卒業した後、就職で東京へ出て、4−5年ほど会社員で働いた後、26歳の時に単身渡米したため、完全に標準語化が出来なかったんだと思います。

日本人の多くの方が恐らく、興味があるのではと思いますので、簡単にどうやって日本から自力で単身渡米の機会を得て、どういうビザを渡り歩いて今に至るのか、という内容を簡潔にご紹介しようと思います。ご興味ない方はここからの内容は飛ばしてください。


まずは、遡ること2003年です。大学生の頃から(外国語大学へ行ったということもあり)いつか海外で働いて暮らしてみたいという思いがあったのですが、この年に一念発起することにしました。時は就職氷河期真っ只中でしたね。そもそも就職も辛うじて何とか出来たものの、就職してからも大不況は続き、所謂ワーキングプア状態が続いていたと記憶しています。日本政府に全く信用や期待ができないのはもうこの時点で自分なりに悟ってました。”日本という国にはもう期待するのをやめる”と決心したわけです。将来的に明るい未来は日本には無いように感じていたんですね。まぁ、今から考えると、”ハタチ過ぎの若者に何がわかるんや”、って日本の政治家なんかに突っ込まれるやろうなとは思いますけどね。
このまま日本人として日本で一生埒が明かない人生を送るか、一か八かとりあえずダメ元で海外でやりたい事に挑戦するか、完全に人生の岐路に立っていたんだと思います。そこで、思ったのは、自分が死ぬ時に”あの時、チャンスがあったのに挑戦しなかったがために死に際で後悔するよりも、ダメ元でも挑戦して失敗して帰国する方が後悔の念は少なくなるはず”という結論に至りました。
そこで、問題になるのが、”じゃ、どこの国へ行く?”という事です。大不況でも日本は当時まだ世界第2位の経済大国だったので、キャリアアップを目指すんだったら、日本より経済的に格上の国に行くしかないだろう、と。そうなると、答えは一つしかないでしょう。そう、自分にとってはアメリカしか選択肢はなかったのです。
アメリカといえば、当時、9.11からわずか2年弱しか経っていなく、ただでさえ、厳しい就労ビザ取得が、テロの影響で余計に厳格化が激しくなっていた頃です。まずは、どうやって就労ビザスポンサーを見つけるかです。いきなり、日本にいながら米国の企業へ正社員として雇ってもらうのは無理だろうと。でも、留学する資金がない。投資家ビザを申請するほど金持ちでもない。少なからず貯めた貯金を切り崩し、何とか少額でも稼ぎながらアメリカで暮らせる方法はないかをひたすら調査しました。少額を稼げる仕事といっても、アルバイトや契約・派遣用の就労ビザなんてないので、正式に会社の一員となることができる方法です。色々検索しているうちに、”企業インターン”というキーワードに辿り着いたのです。当時は、この企業インターンというのが日本で斡旋され始めた直後だったようで、まだまだ経験者は少なかったようです。で、肝心の就労ビザですが、企業インターンの場合、大学の奨学研究者にも発行されるJ1ビザが取得できます。しかも、この場合、ビザスポンサーは、インターン先の企業ではなく、米国政府系の非営利団体(文化交流目的の団体)だったわけです。このJ1ビザというのが、その頃、世界でまだまだ知られていなかったようで、申請者数は他の就労ビザに比べて少なかったんですね。恐らく、今はもうポピュラーになりすぎて、取得しづらくなっていると思いますが。
それで、急がば回れということで、インターン先の斡旋業者に登録し、費用を入金して、1、2ヶ月後、候補先の会社と電話面接して、無事に合格した後、J1ビザの申請に移り、3ヶ月ほどして満期の18ヶ月間のJ1ビザが取得できたと記憶しています。ただ、当時、米国大使館でのほぼ全てのビザ対象の面接が始まった直後だったので、大使館もかなり混乱していて、面接予約さえ簡単に取れなかったのをよく覚えています。本番の面接は問題なく一発合格しました。結局は、渡米予定日のわずか1週間前に実家にJ1ビザが貼り付けられたパスポートが戻ってきて、ギリギリセーフでしたね。いや〜、あれはヒヤヒヤものでした(笑)。

以上で、晴れて、単身渡米と相成りました。私の中では、この時点では、どうせ18ヶ月後にビザが切れたら敢え無く帰国になるんだろうな、くらいの意識でした。それでも、アメリカで例えインターンでも企業で勤務した経験は日本で役に立つだろうと思っていたので、”掴めるものは何でも掴んでやる”くらいの勢いがありましたね。私も若かった(笑)。もちろん、掴めるものとは、人生を好転させるチャンスです。就職超氷河期世代として、日本でどうあがいても生まれ年の悪さで手に入らなかったものです。

こんな感じで、若さも手伝って、不安もそこそこ、でも意気揚々と日本脱出となりました。ちなみにですが、私が正式渡米した日は、何と、2003年9月11日、そう9.11の丸2年後でした。その日の朝、マイアミに降り立つ飛行機内で、CAが9.11が発生したのと同時刻に機内の乗客に黙祷するようアナウンスがあったのを鮮明に覚えています。何という奇遇なんだという思いと、亡くなった方への追悼の意と共に”もしかして”の恐怖感があり、気を引き締めた状態でマイアミへ降り立った日でした。

さて、すでに長文になってしまったので、これから先の就労ビザと渡米後の生活のお話は次回の巻でご説明いたします。ここまでお付き合いいただき有り難うございました。次回もよろしくお願いいたします。

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